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検索語: “実り”

20件の記事が見つかりました

レンズ豆の畑に立つ

ダビデには三十七人の勇士がいました。その名は、サムエル記下の終わりに、戦没者の碑のように並べられています。城門の攻防や、燃え上がる塔の物語を期待するところです。 ところが、そこに記されているのはこれです。 「彼の次はハラルびとアゲの子シャンマであった。ペリシテびとが一団となって集まったところに、レンズ豆の茂った地所があった。民はペリシテびとの前から逃げた。しかし彼はその畑の真ん中に身を置き、これを...

それでも、子どもに御言を届けましょう

ある父親が、九歳の息子の隣に腰を下ろします。息子は大好きなテレビ番組に見入っています。決められたテレビの時間なので、父親はテレビを消しません。 父親は聖書を開き、マタイによる福音書4章、荒野での試みの場面を息子に見せます。悪魔が口を開くたびに、イエスは同じ言葉で答えられます。「……と書いてある」。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごら...

三十倍は、負けではない

最初の刈り入れを終えた農夫が、畑を歩いてまわります。まいた種一粒につき、実った粒は三十。それでも彼は、畑を掘り返したりはしません。もう一度、種をまくのです。 種まきのたとえを読むとき、私たちの多くは一足飛びに百倍を望みます。三十倍はびりのように聞こえ、六十倍は「あと一歩」のように聞こえます。 マタイは収穫を大きい数から並べています。マルコは小さい数から並べています。 「ほかの種は良い地に落ちた。そ...

労苦の呪いは終わりました

第一の園で、働きは呪いとなりました。アダムの堕落のゆえに、地は人に逆らうものとなり、実りは「顔に汗して」得るものとなったのです。ストレスも、不安も、重くのしかかる労苦も、その日に生まれました。 「あなたは顔に汗してパンを食べ」 創世記 3:19 (口語訳) 時をくだって、もうひとつの園があります。ゲツセマネです。そこで「第二のアダム」である主イエスは、受難の道を歩み始められました。祈っておられるう...

新しい契約の声

血には、声があります。 人類最初の殺人で、カインは弟アベルを殺しました。それは宗教が起こした殺人でした。自分の手の働き、自分の畑の実りをもって神に近づこうとした兄が、小羊の血をもって神に近づいた弟を手にかけたのです。 その後、神はこう言われました。「あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます」 創世記 4:10 (口語訳)。アベルの血は、復讐を求めて叫びました。罪を犯した者への裁きを求めて...

長子の祝福

わたしたちはつい、目に見える助けを探します。お金、食べ物、必要な物資。 けれども聖書は、まことの供給は霊の領域から始まると教えています。 イサクがヤコブを祝福したとき(長子エサウだと思い込んでいました)、こう宣言しました。 「どうか神が天の露と、地の肥えた所と、多くの穀物と、新しいぶどう酒とをあなたに賜わるように。」 創世記 27:28 (口語訳) エサウは狩人でした。穀物も、ぶどう酒も、すでに手...

王はまず、筆を執る

旧約の時代、神は王座に着く者に、一風変わった命令をお与えになりました。まず軍を増やせとも、宮殿を高く築けとも言われません。筆を執りなさい、と言われたのです。 「彼がその国の王座に座するようになったならば、彼はこの律法の写しを、自分のために一つの書物に書きしるさなければならない。……それを身近く置き、生きながらえる日の間、常にそれを読まなければならない。」 申命記 17:18-19 (NKJV より...

なぜ、つぶやきは裁かれなかったのか

私たちの「さばき」の理解を、根こそぎ揺さぶる時期が、歴史の中にあります。 エジプトを出てから、シナイに着くまでの道のりです。 神はイスラエルの人々を奴隷の家から連れ出されました。彼らは紅海を渡りました。ところが、そのすぐあとから、彼らはつぶやき始めます。紅海のほとりでつぶやき、マラの苦い水の前で不平を言い、飢えれば、荒野で死なせるために連れ出したのかと神を責めました。 つぶやきは罪です。不平もまた...

神は根から実を測られます

わたしたちはしばしば、目に見えるもので働きを測ります。規模、活動の多さ、人目につくかどうか。けれども聖書は、外に現れた姿がすべてを語ることはない、と告げます。 サムエルはエリアブを見て、心を動かされました。けれども神は、そうではありませんでした。 「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」サムエル記上 16:7 (口語訳) 神の見極めは、枝からではなく、根から始まります。 しかし、聖書はもう一つの真実...

加速の恵み

ふつう、種をまいてから実を口にするまでには、長い隔たりがあります。ある季節にまき、別の季節に刈り取る。それが自然の順序です。けれども神は、その時間の隔たりそのものが畳み込まれる日について語られます。あまりに豊かな実りのゆえに、次の作付けをしている人が、今の収穫を집めている人と肩をぶつけ合う——そんな光景です。 「見よ、その日が来る、と主は言われる。その時、耕す者は刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者は...

収穫が、種まきを待たない日

自然の世界には、必ず「間(ま)」があります。 十月に種をまき、冬の間じっと待ち、四月に刈り取る。働きと報いとの間には、幾月もの沈黙があり、幾月もの待つ時間があります。 けれども神は、その時間割そのものが畳まれてしまう季節を約束しておられます。 「主は言われる、見よ、このような日が来る。その日には、耕す者は刈る者に相継ぎ、ぶどうを踏む者は種をまく者に相継ぐ……」 アモス書 9:13 (口語訳) 思い...

一粒から始まる

聖書は、供給ということを果樹のはたらきになぞらえて教えています。見上げるほどの大木も、もとをたどればたった一粒の種です。その小さな一粒の中に、その木のすべてが畳み込まれている。けれども、木として立つためには、種は地に蒔かれなければなりません。 「地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も……やむことはないであろう」 創世記 8:22 (口語訳) 神は、私たちから取り上げる方ではありません。増やして与...

聖書が語る赦し ― 恵みが与える自由

法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...

巨人は、あなたの糧

問題をどう見るかによって、その問題の中にとどまる時間の長さが決まります。 十二人の斥候が約束の地に入ったとき、そのうちの十人は震えながら戻ってきました。豊かな実りを見たのは確かです。けれども同時に、高い城壁と巨人たちも見てしまったのです。そして彼らは言いました。自分たちは、いなごのようだ、と。 ところが、ヨシュアとカレブの二人は、まったく同じ巨人を見ながら、まったく違う結論にたどり着きました。 「...

平安が増し加わる道

多くの人が、もっと平安がほしい、もっと恵みを受けたいと願います。そして人の本能は、決まってこう尋ねます。「そのために、何をすればいいのか」と。 増やしたいなら、もっと努力するほかない——私たちはそう思い込んでいます。もっと自分を律し、もっと奉仕し、もっと時間を注ぐ。けれども聖書は、成長についてまったく別の道筋を示します。 「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに...

限界は、神の側にはありません

私たちはいつも、何か新しいものを待っています。突破口、思いがけない実り、どこか「向こう側」から降ってくる奇跡。そして足りないものばかりを数えます。お金が足りない、力量が足りない、影響力が足りない。だから答えは、外からやってくる大きな何かに違いないと思い込むのです。 けれども神は、まったく別の問いを立てられます。 「あなたの手にあるそれは何か」 出エジプト記 4:2 (口語訳) モーセが国家の危機を...

イエスは、負債以上を払われた

返しきれない借りを、だれかに負っているところを思い浮かべてみてください。その人の顔を見るたびに、負っているものの重さが胸に迫ります。 そこへ、だれかが割って入り、その全額を払ってくれる。いいえ、それどころか、余りあるほど多く払い、貸していた人が前よりも豊かになってしまう——そんな光景を思い描いてみてください。 主イエスがなさったのは、まさにそれです。 帳尻を合わせてくださったのではありません。払い...

神の時が、すべてを美しくする

種を蒔き、祈り、その場に立ち続けてきた——それなのに、何ひとつ動かない。そんな季節があります。 神は忘れてしまわれたのだろうか。あるいは、私が聞き違えたのだろうか。そもそも、刈り入れの日など来ないのではないか。 けれども、聖書はこう告げます。 「神のなされることは皆その時にかなって美しい」伝道の書 3:11 (口語訳) パウロもまた、同じことを書いています。 「たゆまないでいると、時が来れば刈り取...

きらめきを追うのをやめる。神の目はあなたの人となりに

金で舗装された道、と聞けば壮麗に響きます。けれども、よくよく考えれば、それはただの舗装です。地上で私たちが追いかけてやまないものが、天ではただの床材なのです。これは神の、やわらかな問いかけなのかもしれません。あなたが追っているのは、敷石ですか。それとも、その方ご自身ですか。 境遇の成功は、きらめきます。人となりの成功は、造り変えます。 多くの人は、目に見えるものを追います。利益、喝采、次の節目。け...

神の回復には、いつも上乗せがある

神の御手の中では、失敗が終わりになることはありません。むしろ、実りを生む土となります。 賠償のささげ物(レビ記6章)では、罪によって失われたものは、元の価にその五分の一(二割)を加えて返さなければなりませんでした。 神がこれを定められたのは、罪を軽く見せるためではありません。人の弱さに、神がどう応えてくださるかを示すためでした。応えは、最低限の埋め合わせではなく、あふれるほどの豊かさなのです。 だ...