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検索語: “自然”

20件の記事が見つかりました

鎖の中の輝き

伝道というと、私たちはつい議論の組み立てを思い浮かべます。要点を用意し、事実を覚え、相手の考えを変えようと努める。けれども、あなたが持っている最も力ある証しは、実はあなたの表情なのです。 使徒パウロを思い起こしてみましょう。彼はカイザリヤで、鉄の鎖につながれた囚人として立っていました。目の前にいるのは、彼の生殺与奪を握るアグリッパ王とローマの高官たち。それでもパウロは、あわれみを乞うこともなく、絶...

自分探しは、イエスを仰ぐことから

多くの人が、聖書を自己改善の手引きのように読んでいます。よりよい人間になるための規則や公式、段取りを求めてページを開く。そうして本文の中に、自分自身を探そうとするのです。 けれども、自分を見つめることで本当の自分が分かることはありません。自分が何者かは、イエスを仰ぐときに分かるのです。聖書のいちばんの目的は、イエス・キリストを明らかにすることにあります。主を見るために——その麗しさ、そのみわざ、そ...

仰ぎ見て、生きる

自分の問題を見つめること。それは、この世でいちばんたやすいことです。 荒野で、イスラエルの人々は毒蛇にかまれました。痛みがありました。傷口は腫れていきました。うつむいて、かまれた跡をのぞき込み、うろたえる——ごく自然な成り行きです。 けれども、自分の傷を見つめた者は、死にました。 神が備えられた治療法は、不思議なものでした。青銅で蛇を造り、竿の上に掲げよ、とモーセに告げられたのです。青銅は、さばき...

死に至る実か、神に至る実か

いちじくの木と実について言い争う人はいません。枝を見て、そこに何が下がっているかを見れば、それがどんな木なのかが分かります。 パウロもローマ人への手紙 7 章で同じ物差しを用います。律法について何を信じているか、とは尋ねません。あなたの人生が何を結んでいるかを問うのです。 「わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情がわたしたちの肢体のうちに働いていて、死のために実を結ばせた。」 ローマ人へ...

恵みが悔い改めを生む

律法主義の説教は、圧力と脅しを頼りにします。要求すれば従うようになる、という前提です。けれども人の性は、その反対を証ししています。外から押しつけられた規則は、服従よりもむしろ反発を呼び起こすのです。 心の本当の変化は、値なしに与えられる神の恵みが示されるときに起こります。 「それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことを知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。」 ローマ人への手紙 2...

喜びは、どこへ向かうか

踊ることは本能です。喜びを表すようにと神が造られたのです。ただ、その向き先と安全は大切です。 子どもに踊り方を教える必要はありません。音楽を鳴らせば、内側にあるものが自然に動きだします。 ダビデもそうでした。 「ダビデは力をきわめて、主の前に踊った」 サムエル記下 6:14 (口語訳) 喜びは、神が私たちの内に組み込んでくださったものです。けれども神は、その喜びがどこへ向かうかをも心にかけておられ...

み言葉は、まず食べる

エレミヤは重圧の中を生きた人でした。国は崩れていき、友は背を向けました。その只中で彼は、自分を立たせ続けた唯一のものを語っています。 「あなたのみ言葉が見いだされたとき、わたしはそれを食べました。あなたのみ言葉は、わたしにとって心の喜び、心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、わたしはあなたの名をもって呼ばれている者です。」 エレミヤ書 15:16 (NKJV より私訳) エレミヤは「あなたのみ言...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

十分の一は、律法より先にありました

ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...

性の妥協が残すもの

世は、輝いて見える場面ばかりを好みます。その裏にある代償を映すことは、めったにありません。 約束のないままの体の親しさは、はじめのうちこそ胸が高鳴ります。けれども、その後から現実が、問いと恐れを連れてやって来ます。眠れないまま、あの時間を何度も思い返す夜のことを、誰も前もって教えてはくれませんでした。 聖書はこう語ります。 「しかし、不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。」コリン...

セラ——立ち止まるという技

聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...

低くなる階段

使徒パウロは、使徒たちの中でも最も偉大な人物と見られています。新約聖書の多くの書簡は、彼の筆によるものです。働きが広がるにつれて、その自信もまた高まっていった——そう思うのが自然でしょう。 ところが、彼の手紙を書かれた順に並べてみると、まったく逆の軌跡が浮かび上がります。 働きの初めのころ、コリントの人々にあてた手紙で、彼は自分を他の指導者たちと比べています。「わたしは、使徒の中で最も小さい者であ...

愛は、愛されたところから始まる

自分の神への愛を、はかりにかけようとする人がいます。どれほど真実か、どれほど揺るがないか、どれほど強いか、と。 けれども聖書は、こう思い起こさせます。 「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」ヨハネの第一の手紙 4:19 (口語訳) ここで「愛する」と訳されている言葉は (agapaō) ἀγαπάω — 「価値を置く、尊ぶ」。愛とは義務ではない、ということです...

ヒマラヤに眠る海の骨

地質学の証拠と古代の記録は、聖書の語る全地を覆った洪水の記事を裏づけています。地質学者たちは、ヒマラヤの高峰の岩の中に、海の生き物の遺骸——骨格——が埋もれているのを記録してきました。この動かぬ事実が指し示しているのは、かつて水が、あれほど高い土地までも覆っていたということです。 この出来事の前、地球の大気は今とは違っていました。聖書は「おおぞら」、すなわち (ラキア) רָקִיעַ — 「広が...

旅路が遠すぎるとき

燃え尽きは、いつも罪とはかぎりません。ときにそれは、ただ体の道理です。 わたしたちは疲れ果てても、立ち止まることを弱さの証拠のように思って、무理を押し通そうとします。もっと働こう、もっと長く祈ろう、とにかくやり遂げよう——そう自分に言い聞かせるのです。 けれども神は、わたしたち自身よりもはるかに現実的に、人の限界をご存じです。 エリヤが荒野で倒れ伏したとき、神は「起き上がってもっと励め」とは言われ...

燃え尽きたあなたへ、休んでよいのです

天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...

神は根から実を測られます

わたしたちはしばしば、目に見えるもので働きを測ります。規模、活動の多さ、人目につくかどうか。けれども聖書は、外に現れた姿がすべてを語ることはない、と告げます。 サムエルはエリアブを見て、心を動かされました。けれども神は、そうではありませんでした。 「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」サムエル記上 16:7 (口語訳) 神の見極めは、枝からではなく、根から始まります。 しかし、聖書はもう一つの真実...

シャローム——「平和」では足りない

多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...

加速の恵み

ふつう、種をまいてから実を口にするまでには、長い隔たりがあります。ある季節にまき、別の季節に刈り取る。それが自然の順序です。けれども神は、その時間の隔たりそのものが畳み込まれる日について語られます。あまりに豊かな実りのゆえに、次の作付けをしている人が、今の収穫を집めている人と肩をぶつけ合う——そんな光景です。 「見よ、その日が来る、と主は言われる。その時、耕す者は刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者は...

カリスとは何か——「恵み」の意味を一変させるギリシア語

多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...