検索結果

検索語: “視点”

14件の記事が見つかりました

一時のものを、忘れるとき

わたしたちは、目に見えるものの世話に、人生の多くを費やします。家。車。貯え。目の前にあるというだけで、確かなものに思えてくる持ち物。 けれども聖書は、それらをみな、一つの枠の中に置きます。 「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」コリント人への第二の手紙 4:18 (口語訳) 形あるもの、手で触れられるものはみな、すでに過ぎ去りつつあります。揺るがないように見えても、長く...

荒野の低木と、水辺の木

皮肉屋は、美しい部屋に通されると、まず埃を見つけます。 エレミヤ書は、二種類の人を並べて描きます。のろわれた人は、荒野に立つ乾いた低木のようだ、と。 「彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地におる。」 エレミヤ書 17:6 (口語訳) この人の悲劇がどこにあるか、心に留めてください。良いものは、ちゃんと届いているのです。ただ、それ...

顕微鏡の朝、望遠鏡の朝

聖書には、誠実な読み方が二つあります。ところが多くの人は、そのうちの片方しか持ち合わせていません。 ひとつは、近くを見る読み方です。一つの節を選び、そこにとどまります。朝に読み、昼にもう一度それを転がしてみる。何年も素通りしていた一語に、ふと目が留まる。 「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。」 詩篇 1:2 (口語訳) これが顕微鏡の読み方です。距離を稼ぐのではありませ...

台無しに見えて、そうではない

ちょうどよい時に、ちょうどよい場所にいる——それは、そよ風のように心地よいものだと、わたしたちはつい思い込みます。足もとに赤いじゅうたんがすべらかに敷かれ、扉はひとりでに開き、何もかもがぴたりと収まっていく。そんな光景を思い描くのです。 けれども、神の定めた出会いは、まるで災難のような顔をしてやって来ることがあります。 (カイロス) καιρός — 「定められた時、ふさわしい季節、好機」 「ちょ...

恵みの幾何学

私たちはしばしば、苦しみと喜び、つまずきと祝福を、同じ一本の時間軸の上に並べて眺めます。どちらも同じ重さを持つかのように。けれども聖書は、私たちの人生にもう少し違うかたちを——別の幾何学を描いています。 「悪しき日」と「さいわいな日々」。この二つには、はっきりとした違いがあります。 「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい」 エペ...

神は一つの教会を見ておられます

神がご自身の民をご覧になるとき、そこに教派の線はありません。目に映るのは、一つの家族です。 エリヤは、それを知っていました。カルメル山の上で、イスラエルは裂かれていました。部族に分かれ、争い、散らされていたのです。 それでもエリヤは、十二の石を集めました。——部族の数と同じ、十二。そして、崩れた祭壇を築き直したのです。 なぜ十二だったのでしょう。地上が破片を数えていたそのとき、天は一つの民を見てい...

低くなる階段

使徒パウロは、使徒たちの中でも最も偉大な人物と見られています。新約聖書の多くの書簡は、彼の筆によるものです。働きが広がるにつれて、その自信もまた高まっていった——そう思うのが自然でしょう。 ところが、彼の手紙を書かれた順に並べてみると、まったく逆の軌跡が浮かび上がります。 働きの初めのころ、コリントの人々にあてた手紙で、彼は自分を他の指導者たちと比べています。「わたしは、使徒の中で最も小さい者であ...

なぜ、つぶやきは裁かれなかったのか

私たちの「さばき」の理解を、根こそぎ揺さぶる時期が、歴史の中にあります。 エジプトを出てから、シナイに着くまでの道のりです。 神はイスラエルの人々を奴隷の家から連れ出されました。彼らは紅海を渡りました。ところが、そのすぐあとから、彼らはつぶやき始めます。紅海のほとりでつぶやき、マラの苦い水の前で不平を言い、飢えれば、荒野で死なせるために連れ出したのかと神を責めました。 つぶやきは罪です。不平もまた...

悪しき日は、ただ一日

苦しい季節の只中にいると、それが永遠に続くように思えます。痛みや不安の中では、時間はいつもより重く、ゆっくりと流れていきます。 けれども聖書は、時について、まったく別の見方を差し出します。 エペソ人への手紙で、パウロは霊の戦いについてこう語ります。 「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」 エペソ人への手紙 6:13 (口語訳...

共に集まるということ

すべての突破口が、一瞬にして開かれるわけではありません。多くの場合、それは幾重にも重なって訪れます。一つの言葉、また一つの言葉と、少しずつ。 だからこそ神は、わたしたちを集まりへと招かれます。規則としてではなく、招待として。 「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで、互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」ヘブル人への手紙 10:25 (口語...

聖書は不安について何を語るか

精神医学の教科書と福音書が、同じことを語っています。今この瞬間を生きなさい、と。違いは、福音書がそれを二千年も前に語っていたことです。 不安は新しいものではありません。SNSと二十四時間流れ続けるニュースが生んだ現代病でもありません。ダビデは詩篇にそれを書き残しました。エリヤは生涯最大の勝利の直後にそれを味わいました。パウロは日々それを背負っていました。主イエスさえ、ゲツセマネの園でその重みの下に...

巨人は、あなたの糧

問題をどう見るかによって、その問題の中にとどまる時間の長さが決まります。 十二人の斥候が約束の地に入ったとき、そのうちの十人は震えながら戻ってきました。豊かな実りを見たのは確かです。けれども同時に、高い城壁と巨人たちも見てしまったのです。そして彼らは言いました。自分たちは、いなごのようだ、と。 ところが、ヨシュアとカレブの二人は、まったく同じ巨人を見ながら、まったく違う結論にたどり着きました。 「...

イエスが見えると、すべてが変わる

エマオへ向かう二人の弟子は、落胆していました。信仰が足りなかったからではありません。イエスが、話の脇に置かれていたからです。 彼らはこう言いました。 「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていた」 ルカによる福音書 24:21 (口語訳) 中心にあったのは、イスラエルでした。イエスは、そのための手立てだったのです。 同じことは、今も起こります。問題を解決するために、目標に...

建てる人から、仕上げる人へ

わたしたちは、始まりが好きです。新しい思いが走り出すときの高鳴り。最初の一歩を踏み出すときの胸の躍り。「さあ、行こう」という熱。 けれども、主イエスはこう教えられました。 「あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まずすわって、その費用を計算しないであろうか」 ルカによる福音書 14:28 (口語訳) 多くの夢が崩れるの...