検索結果

検索語: “人間関係”

16件の記事が見つかりました

らくだにも水を汲む人

夕暮れどき、旅に疲れた一人の男が井戸のそばに立っています。その後ろには十頭のらくだが膝を折っています。男は若い娘に、水を少し飲ませてほしいと頼みます。 たいていの人は水がめを傾けて男に飲ませ、そのまま家へ帰るでしょう。それで礼儀は果たせますし、それで十分です。 アブラハムのしもべは、その井戸でだれかに声をかけるより先に、神にしるしを求めました。そのしるしを、彼は心を砕いて選びました。決まった色の服...

荒野の低木と、水辺の木

皮肉屋は、美しい部屋に通されると、まず埃を見つけます。 エレミヤ書は、二種類の人を並べて描きます。のろわれた人は、荒野に立つ乾いた低木のようだ、と。 「彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地におる。」 エレミヤ書 17:6 (口語訳) この人の悲劇がどこにあるか、心に留めてください。良いものは、ちゃんと届いているのです。ただ、それ...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

愛と好意のあいだ

ダビデ王は、神との関係について、ひとつはっきりと分かっていたことがありました。神はすべての人を愛しておられる。そのうえで、神はこの自分を喜んでくださっている。彼はそう信じていたのです。 その思いは、詩篇のことばにそのまま表れています。 わたしの敵がわたしに勝ち誇ることのないことによって、あなたがわたしを喜ばれることを、わたしは知ります。 詩篇 41:11 (口語訳) ここで用いられているヘブライ語...

性の妥協が残すもの

世は、輝いて見える場面ばかりを好みます。その裏にある代償を映すことは、めったにありません。 約束のないままの体の親しさは、はじめのうちこそ胸が高鳴ります。けれども、その後から現実が、問いと恐れを連れてやって来ます。眠れないまま、あの時間を何度も思い返す夜のことを、誰も前もって教えてはくれませんでした。 聖書はこう語ります。 「しかし、不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。」コリン...

愛は、愛されたところから始まる

自分の神への愛を、はかりにかけようとする人がいます。どれほど真実か、どれほど揺るがないか、どれほど強いか、と。 けれども聖書は、こう思い起こさせます。 「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」ヨハネの第一の手紙 4:19 (口語訳) ここで「愛する」と訳されている言葉は (agapaō) ἀγαπάω — 「価値を置く、尊ぶ」。愛とは義務ではない、ということです...

旅路が遠すぎるとき

燃え尽きは、いつも罪とはかぎりません。ときにそれは、ただ体の道理です。 わたしたちは疲れ果てても、立ち止まることを弱さの証拠のように思って、무理を押し通そうとします。もっと働こう、もっと長く祈ろう、とにかくやり遂げよう——そう自分に言い聞かせるのです。 けれども神は、わたしたち自身よりもはるかに現実的に、人の限界をご存じです。 エリヤが荒野で倒れ伏したとき、神は「起き上がってもっと励め」とは言われ...

声を張るのをやめて、導く人になる

指導者たるもの、声が大きくなければならない——そんな思い込みがあります。私たちは強さと荒々しさを取り違え、静かさを弱さと決めつけてしまいます。映画の主人公が物を壊しながら危機を救う姿を見て、夫婦のあいだも、子どもとの関係も、部下との関わりも、そうやって扱うものだと思い込むのです。 けれども、力ずくで人の心が変わることは、めったにありません。変わるのは態度だけ、それも表向きのことです。 もし本当に誰...

愛には、時があります

結婚がまだ遠い日にある恋は、いつのまにか、自分たちでは担いきれない道へと二人を連れて行きます。 人を慕う心そのものに、悪いところはありません。けれども、それが贈り物になるか、重荷になるかを決めるのは、時なのです。 約束を交わすにはまだ何年も早いのに、二つの心が結ばれてしまうと、その関係は自然と前へ前へと進んでいきます。二人が担える速さを、はるかに超えて。 はじめは、手をつなぐだけで胸が高鳴ります。...

巨人は、あなたの糧

問題をどう見るかによって、その問題の中にとどまる時間の長さが決まります。 十二人の斥候が約束の地に入ったとき、そのうちの十人は震えながら戻ってきました。豊かな実りを見たのは確かです。けれども同時に、高い城壁と巨人たちも見てしまったのです。そして彼らは言いました。自分たちは、いなごのようだ、と。 ところが、ヨシュアとカレブの二人は、まったく同じ巨人を見ながら、まったく違う結論にたどり着きました。 「...

ほんとうに続く愛

熱に浮かされた恋と、愛。その違いはどこにあるのでしょうか。一方は相手を使い、愛は相手にとっての最善を求めます。 並べてみると、こうです。 恋の熱はつかみ取ります。愛は差し出します。 恋の熱は問います。「あなたから何が得られるだろう」愛は思いめぐらします。「何があなたを満たすのだろう。たとえ自分が何かを失うとしても」 「愛は……自分の利益を求めない」 コリント人への第一の手紙 13:5 (口語訳)...

情欲は心を小さくする

情欲は、人を物のように扱わせ、そして心を空っぽにします。 情欲は、与えるよりもつねに多くを奪っていきます。満足を約束しながら、手渡すのは虚しさです。高ぶりを差し出しながら、あとに残るのは空洞です。 聖書は、その仕組みをはっきりと言い当てます。 「彼らは姦淫に満ちた目をもち、罪をやめることができない」 ペテロの第二の手紙 2:14 (NKJV より私訳) 情欲は、人を物へと変えてしまいます。大切にす...

愛は人を道具にしません

めったに口にされない誘惑があります。 はでな誘惑ではありません。もっと静かで、気づきにくい誘惑です。 だれかを自分の引き立て役にすること。求められている、うらやましがられている、認められている、意味のある者だ——そう感じるために、人を使ってしまうことです。 主イエスは、SNSが生まれるはるか前から、このことを言い当てておられます。 「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人...

その苛立ちの、本当の理由

いらだちは、目の前にいる人から始まることは、めったにありません。たいていは、自分の内側に居座っている心配から始まります。 口に出せないままの重圧が、小さなことを鋭いことに変えてしまいます。受けとり違えた声の調子が、言い争いになります。何気ないひと言が、深い傷になります。 聖書はこう語ります。 「心に憂いがあればその人をかがませる」箴言 12:25 (口語訳) 心が重荷を抱えているとき、言葉には棘が...

狭い門は天国の話ではありません

多くの人は、主イエスの「命にいたる門は狭く、その道は細い」という言葉を聞くと、天国へ通じるごく小さな、限られた者だけの入口を思い浮かべます。けれども、主イエスが語っておられたのは、そのことではありません。 永遠の先のことではないのです。語られていたのは、今の、この命のことでした。 主イエスはこう言われました。 「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」 マタイによる福音...

イエスこそ、ただひとりの英雄

世の中は英雄であふれています。映画の英雄、漫画の英雄、世間が持ち上げる英雄。けれども、その英雄たちはみな、どこかで距離を保っています。近づけば、欠けが見えてきます。近づけば、あの台座は崩れていきます。 イエスは違います。 主は弟子たちと、昼も夜も共に過ごされました。共に食べ、共に歩き、すぐそばで身を横たえられました。 近づけば近づくほど、その麗しさは増していったのです。 「わたしたちはその栄光を見...