愛と好意のあいだ

ダビデ王は、神との関係について、ひとつはっきりと分かっていたことがありました。神はすべての人を愛しておられる。そのうえで、神はこの自分を喜んでくださっている。彼はそう信じていたのです。
その思いは、詩篇のことばにそのまま表れています。
ここで用いられているヘブライ語は (ハーフェーツ) חָפֵץ — 「喜ぶ、心にかなう、慕う」という語です。口語訳はこれを「喜ばれる」と訳しています。創造主がすべてのいのちに注がれる普遍的な愛と、友として一人の人に向けられる個人的な好意とは、同じではありません。ダビデは大勢のうちの一人であることで満足しませんでした。彼は、自分と神とのあいだにある個人的な結びつきに気づいていたのです。神はダビデを、ご自分の心にかなう者と呼ばれました。それはダビデが完全だったからではありません。神の心が自分のほうへ傾いていることを、彼が知っていたからです。
神が自分を喜んでおられると信じるとき、立ち姿が変わります。隠れることをやめて、近づくようになります。ただ存在しているだけの場所から、名を呼ばれる関係の場所へと移っていくのです。ダビデの「秘訣」は、神の愛情という真実を、そのまま信じたことでした。
神の愛は事実です。神の好意は、関係です。
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