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検索語: “恵み”

20件の記事が見つかりました

カイロスの意味とは?時計では測れない神の時

多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...

自信のない自分に、聖書は何と言うか

ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...

らくだにも水を汲む人

夕暮れどき、旅に疲れた一人の男が井戸のそばに立っています。その後ろには十頭のらくだが膝を折っています。男は若い娘に、水を少し飲ませてほしいと頼みます。 たいていの人は水がめを傾けて男に飲ませ、そのまま家へ帰るでしょう。それで礼儀は果たせますし、それで十分です。 アブラハムのしもべは、その井戸でだれかに声をかけるより先に、神にしるしを求めました。そのしるしを、彼は心を砕いて選びました。決まった色の服...

心にかぶとを

恐れは、たいてい正面の扉からは入ってきません。見ているもの、指先で流しているもの、心の中で何度も繰り返している言葉——そのすき間から、そっと忍び込みます。 そして気づかないうちに、望みは少しずつ痩せていきます。 パウロは、望みをあなたの武具の一部として語ります。 「救の望みのかぶとをかぶって」テサロニケ人への第一の手紙 5:8 (口語訳) かぶと、(クラノス) κράνος — 「かぶと」。つまり...

成分表を読んでから食べる人はいない

今日のお昼に何を食べたか、思い出してみてください。 では、そこに含まれていたビタミンを挙げてみてください。鶏肉のアミノ酸の組成は。あの温度で、油は米に何をしたのでしょうか。 答えられないはずです。そして、答えられないことが食事の邪魔をしたことは一度もありません。あなたは席につき、おいしくいただき、体のほうは、あなたの許可を待たずに化学を引き受けてくれました。 ところが聖書を開いたとたん、私たちはこ...

律法は切り分けられません

信じた人が「あなたは律法に対して死んだ」と初めて聞くとき、きまって顔を出す妥協があります。こう言うのです。「ええ、儀式の律法には死にました。子羊も、祭りも、祭司の清めも。けれども、十戒は別でしょう」。 慎重な言い分に聞こえます。けれども、パウロが書いたのはそれではありません。 教える側は、学びのために律法をいくつかに区分することがあります。儀式律法、民事律法、道徳律法。それは教室の道具です。学ぶ人...

繁栄は何のためか

「繁栄」という言葉を聞くと、どこか落ち着かない気持ちになる人は少なくありません。強欲さや自分本位、あるいは上っ面だけの教えを思い浮かべてしまうからです。その警戒心のあまり、神の約束を霊的な領域だけに閉じ込めてしまう。神は霊において豊かにしてくださる、そこまでは信じられる。けれども、からだの健康や日々の必要については、どこか自信が持てないままなのです。 しかし使徒ヨハネは、愛する信徒たちのために、は...

自分探しは、イエスを仰ぐことから

多くの人が、聖書を自己改善の手引きのように読んでいます。よりよい人間になるための規則や公式、段取りを求めてページを開く。そうして本文の中に、自分自身を探そうとするのです。 けれども、自分を見つめることで本当の自分が分かることはありません。自分が何者かは、イエスを仰ぐときに分かるのです。聖書のいちばんの目的は、イエス・キリストを明らかにすることにあります。主を見るために——その麗しさ、そのみわざ、そ...

人に気に入られたい心の正体

サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...

二度の渡り、ひとつの死

イスラエルは二度、水の中を、かわいた地の上に渡りました。 一度目は紅海。二度目はそれから四十年後、ヨルダン川。同じ神、同じ民、同じ奇跡です。水は立ち上がり、民は干上がった川底を歩いて渡りました。 ただ一点だけ、違いがあります。そして、それは小さな違いではありません。 紅海には、箱がありませんでした。ヨルダンでは、契約の箱が先に水の中へ入って行ったのです。 「見よ、全地の主の契約の箱が、あなたがたに...

資格を問わないいやし

わたしたちはしばしば、神の祝福を受けるには、まず自分がその資格を整えなければならないと思い込みます。抱えている問題を片づけ、心の苦さをひとつ残らず取り除き、罪をすべて言い表してから、ようやくいやしを願えるのだ、と。神の力を、行いの良さに対するご褒美のように扱ってしまうのです。 けれども、福音書に描かれた主イエスのみわざを見るとき、そこにはまったく違う筋道が見えてきます。主イエスは、人をいやされる前...

与えられた地を歩く

「自分のものにする」と聞くと、私たちはたいてい戦いを思い浮かべます。地を取るとは、汗を流し、力を尽くし、勝ち取ったものをどうにか守り抜くこと——そんな連戦の日々を想像するのです。けれども神が約束の地についてヨシュアに語られたとき、用いられたのは、その思い込みを根もとから覆す一語でした。「わたしは、すでに与えた」。 「あなたがたが足の裏で踏む所は、わたしがモーセに言ったとおり、ことごとくあなたがたに...

死に至る実か、神に至る実か

いちじくの木と実について言い争う人はいません。枝を見て、そこに何が下がっているかを見れば、それがどんな木なのかが分かります。 パウロもローマ人への手紙 7 章で同じ物差しを用います。律法について何を信じているか、とは尋ねません。あなたの人生が何を結んでいるかを問うのです。 「わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情がわたしたちの肢体のうちに働いていて、死のために実を結ばせた。」 ローマ人へ...

ソーゾー — 救いも、いやしも、解放も、ひとつの言葉に

多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...

祝福される人から、祝福になる人へ

神がイサクに語りかけられたとき、「祝福する」に、ある特定の言葉が用いられました。 「この地にとどまりなさい。わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福し」 創世記 26:3 (口語訳) ここで使われているヘブライ語は (バーラク) בָּרַךְ です。これは動詞——祝福するという働きそのものを指します。神が今まさに、恵みと増し加えと力を、あなたの人生に注いでおられる、その動きです。 けれども神のご意...

短気になるのは、恵みが尽きているから

律法は要求します。 恵みは供給します。 子どもに要求ばかりを突きつける親を思い浮かべてみてください。「どうしてもっとちゃんとできないの。なぜ怒るの。変わりなさい。やめなさい」。これが律法の声です。欠けを言い当てはしますが、それを直す力は少しも与えてくれません。 恵みは、同じ問題にまったく別の仕方で近づきます。行いを変えるために必要な「자기」ではなく、まず新しい身分を供給するのです。「あなたはこんな...

多くの人が病む、ただ一つの理由

パウロは、はっとさせられることを書いています。ただ一つの理由が——たった一つが——多くの信者が弱り、病み、ついには眠りについた訳を説き明かしています。 「あなたがたの中に弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」コリント人への第一の手紙 11:30 (口語訳) ギリシア語は、その点をはっきりと示しています。(ディア トゥート) διὰ τοῦτο — 「このゆえに」。...

希望の正体

わたしたちは「希望」という言葉で、少しつまずいているのかもしれません。 日ごろ使う「望み」は、どこか心もとない願いです。「雨が降らないといいな」「あの仕事が決まるといいな」。そこには不確かさがにじみ、結果はまだ宙に浮いたままです。 けれども聖書の言う希望は、投げたコインの裏表ではありません。それは錨です。 希望を表すギリシア語は (エルピス) ἐλπίς です。「たぶん」という意味ではありません。...

あえて貧しくなられた主

十字架の上からイエスが最後に見たものの一つは、ご自分の衣をめぐってくじを引く兵卒たちの姿でした。 「そこで彼らは互に言った、『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』。これは、『彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした』という聖書が成就するためであった。兵卒たちはそのようにしたのである。」 ヨハネによる福音書 19:24 (口語訳) すべてを所有しておられる方が、そこ...

履歴書を捨てたパウロ

パウロは、同時代の誰よりも輝かしい宗教的経歴の持ち主でした。八日目の割礼。パリサイ人。律法の基準から言えば、非のうちどころがない。ところが彼は、その一切を投げ捨てたのです。 なぜ、あれほどの肩書を手放したのでしょうか。肩書では決して買えないものを、見つけたからです。 義には二種類あります。自分で造り出す義と、与えられて受け取る義です。前者は律法から来ます。努力を重ね、自分を量り、記録を磨き上げる。...