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多くの人が病む、ただ一つの理由
パウロは、はっとさせられることを書いています。ただ一つの理由が——たった一つが——多くの信者が弱り、病み、ついには眠りについた訳を説き明かしています。 「あなたがたの中に弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」コリント人への第一の手紙 11:30 (口語訳) ギリシア語は、その点をはっきりと示しています。(ディア トゥート) διὰ τοῦτο — 「このゆえに」。...
検索語: “初代教会”
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パウロは、はっとさせられることを書いています。ただ一つの理由が——たった一つが——多くの信者が弱り、病み、ついには眠りについた訳を説き明かしています。 「あなたがたの中に弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」コリント人への第一の手紙 11:30 (口語訳) ギリシア語は、その点をはっきりと示しています。(ディア トゥート) διὰ τοῦτο — 「このゆえに」。...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
わたしたちはしばしば、目に見えるもので働きを測ります。規模、活動の多さ、人目につくかどうか。けれども聖書は、外に現れた姿がすべてを語ることはない、と告げます。 サムエルはエリアブを見て、心を動かされました。けれども神は、そうではありませんでした。 「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」サムエル記上 16:7 (口語訳) 神の見極めは、枝からではなく、根から始まります。 しかし、聖書はもう一つの真実...
使徒たちは福音のために死んだのであって、道徳的な主義主張のために死んだのではありません。 殉教者が命を捧げるのは、より良いふるまいのためではありません。より良い知らせのためです。 使徒行伝4章で、当局が使徒たちを脅したのは、彼らが道徳を説いたからではありません。彼らが、こう宣べ伝えたからです。 「この人による以外に救はない」 使徒行伝 4:12 (口語訳) 初代教会が迫害されたのは、倫理を語ったか...
ヘブライ語聖書には、日本語のどの一語にも収まりきらない言葉があります。「あわれみ」「いつくしみ」「変わらない愛」「誠実」「真実」。訳者たちはさまざまに訳し分けてきました。どの訳語も、その一面はとらえています。けれども、すべてをとらえた訳語はひとつもありません。 その言葉が (ヘセド) חֶסֶד — 「契約に根ざした、絶えることのない愛」です。 旧約聖書に二百五十一回現れます。詩篇を満たし、ルツの...
すべての突破口が、一瞬にして開かれるわけではありません。多くの場合、それは幾重にも重なって訪れます。一つの言葉、また一つの言葉と、少しずつ。 だからこそ神は、わたしたちを集まりへと招かれます。規則としてではなく、招待として。 「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで、互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」ヘブル人への手紙 10:25 (口語...
信仰でいちばんつらいのは、たいてい危機そのものではありません。時計の針です。 世を見渡すと、時の流れが狂ってしまったように思えます。人々はあざ笑います。この混乱を眺めながら問うのです。「神はどこにいるのか。これを正すために帰って来ると言うなら、なぜいまだに姿を見せないのか」と。 古くからある問いです。初代教会の人々も、すでに同じことを口にしていました。 「終りの時にあざける者たちが、あざけりながら...
イエスは、死に対する私たちの見方を根本から変える、一つの区別を語られました。 マルタに向かって語られたとき、主はありふれた慰めの言葉をかけられたのではありません。二つの異なる信者の群れについて、はっきりとした預言をお与えになったのです。 「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない...