検索結果

検索語: あわれみ

11件の記事が見つかりました

神はあなたの祈りも等しく聞かれます

シナイ山で、イスラエルは仲立ちをする人を求めました。 神が山の上に降られ、人々はそのふもとに立っていました。けれども彼らは、自分から近づこうとせず、モーセを前に押し出したのです。 「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」 出エジプト記 20:19 (口語訳) この本能は、今も私たちから離れてい...

神はわたしに失望しているのか

また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...

なぜ彼は、だれよりも長く生きたのか

エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。 エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。 「エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」 創世記 5:21-22 (口語...

十分の一は、律法より先にありました

ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...

病は罰ではなく、落ちた穴です

病に倒れたとき、多くの人はまず自分を問いつめます。「わたしは何か間違ったのだろうか」「どうしてもっと気をつけなかったのか」「神はわたしに失望しておられるのではないか」 けれども主イエスは、病をまったく別の言い方で語られました。 水腫をわずらっている人をいやされたとき、主はこう問われました。「あなたがたのうちで、自分の息子または牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない...

新しい契約の声

血には、声があります。 人類最初の殺人で、カインは弟アベルを殺しました。それは宗教が起こした殺人でした。自分の手の働き、自分の畑の実りをもって神に近づこうとした兄が、小羊の血をもって神に近づいた弟を手にかけたのです。 その後、神はこう言われました。「あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます」 創世記 4:10 (口語訳)。アベルの血は、復讐を求めて叫びました。罪を犯した者への裁きを求めて...

恵みの法的根拠

恵みとは、神が私たちを気の毒に思ってくださることだ——そう考える人は少なくありません。神は私たちの過ちをご覧になり、ため息をつき、まあ今回は見逃してやろうと決めてくださる。そんな絵を思い描くのです。 しかし神は、完全な裁判官です。完全な裁判官が、哀れに思ったからといって罪ある者を無罪のまま帰すことはできません。あわれみが正義を飛び越えることはできないのです。もしそれが起こるなら、神の御座はその正し...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

行く途中で、きよめられた

重い皮膚病を患う十人の人が、遠くに立ったまま、あわれみを求めて叫びました。イエスがお答えになったのは、そのときにはまだ意味の通らない一つの言葉でした。 「行って、祭司たちにからだを見せなさい」ルカによる福音書 17:14 (NKJV より私訳) けれども、祭司のもとへ行くのは、すでにきよめられた者がすることでした。彼らは、まだそうではありませんでした。 病はそのまま。隔ての壁もそのまま。身に負った...

カリスとは何か——「恵み」の意味を一変させるギリシア語

多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...

どこまで迷っても、主は見つけられます

問題から逃げ出すとき、私たちはたいてい、行くべきでない場所にたどり着きます。 エリヤはイゼベルを逃れて、ホレブ(シナイ)の山まで走りました。そこは律法の山です。神がそこへ行けと命じられたわけではありません。彼をそこまで運んだのは、御霊の導きではなく、恐れの勢いでした。 彼は洞穴に身をひそめていました。委ねられた務めからは、はるかに遠い場所です。 それでも、神はそこにおられました。 「主の言葉が彼に...