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神はわたしに失望しているのか
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
検索語: “罪に定められない”
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また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
アダムが堕ちたとき、この世界にあるものが入り込みました。罪に対する、神の宣告です。それは体にも、心にも、被造物そのものにも及ぶ、こわれた有り様でした。 パウロはこう書いています。 「わたしたちがさばかれるのは、この世と共に罪に定められないために、主によって懲らしめられているのである」コリント人への第一の手紙 11:32 (NKJV より私訳) この世はすでに、罪に定められた下にあります。一人ひとり...
法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...
信じる者は誰でも、二つの霊的な法則のどちらかの下に生きています。努力によってではなく、自覚によってです。 パウロはその両方をこう語ります。 「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」ローマ人への手紙 8:2 (口語訳) 二つの法則は、いつも同時に働いています。罪の意識が、一方のスイッチを入れます。罪に定められていないという自覚が、もう一...
パウロの問い —— 「罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおその中に生きておれるだろうか」 ローマ人への手紙 6:2 (口語訳) —— これは、問いではありません。思い起こさせる言葉です。この問いに答えるには、キリストがどのように罪に対して死なれたのかを知らなければなりません。 イエスは、罪の力の下に置かれたことが一度もありません。ただの一度もです。主が罪に対して死なれたのは、罪の咎を、その...
「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は、罪に定められることがない。」ローマ人への手紙 8:1 (口語訳) ここで用いられている (oudeis) οὐδείς という語は、「ない、一つもない、ただの一つも、まったく何も」という意味です。すべての扉を閉ざす言葉です。例外を一つも残しません。天が決して越えることのない一線を、ここに引いています。 いちばん情けない一日にも、罪に定められることは...