「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は、罪に定められることがない。」
ローマ人への手紙 8:1 (口語訳)

ここで用いられている (oudeis) οὐδείς という語は、「ない、一つもない、ただの一つも、まったく何も」という意味です。
すべての扉を閉ざす言葉です。
例外を一つも残しません。
天が決して越えることのない一線を、ここに引いています。

いちばん情けない一日にも、罪に定められることはありません。
心が乱れ、迷いのただ中にある日にも、罪に定められることはありません。
つまずいたときも、もがいているときも、神が遠く感じられるときも、罪に定められることはありません。

神は「さて、どこまでやれるか見てみよう」と、あなたへの思いを決めかねておられるお方ではありません。
判決はすでに言い渡されました。しかも、永遠に変わらぬものとして。

罪の宣告は主イエスのものとなり、義はあなたのものとなりました。
これが、あの交換です。

ひとたびキリストにある者となったなら、罪の重さで十字架を越えることも、失敗の多さで恵みを使い果たすことも、与えられた義から逃げ切ることも、もうできません。

神が「罪に定められることがない」と言われるとき、それは「少しは軽くなった」という意味ではありません。「一つもない」という意味です。