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あえて貧しくなられた主
十字架の上からイエスが最後に見たものの一つは、ご自分の衣をめぐってくじを引く兵卒たちの姿でした。 「そこで彼らは互に言った、『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』。これは、『彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした』という聖書が成就するためであった。兵卒たちはそのようにしたのである。」 ヨハネによる福音書 19:24 (口語訳) すべてを所有しておられる方が、そこ...
検索語: “あがない”
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十字架の上からイエスが最後に見たものの一つは、ご自分の衣をめぐってくじを引く兵卒たちの姿でした。 「そこで彼らは互に言った、『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』。これは、『彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした』という聖書が成就するためであった。兵卒たちはそのようにしたのである。」 ヨハネによる福音書 19:24 (口語訳) すべてを所有しておられる方が、そこ...
レビ記は、五つの供え物から始まります。イスラエルはその五つを同じ祭壇に運び、同じ火がそれを焼き尽くしました。それなのに、神が「香ばしいかおり」という言葉を添えられたのは、そのうちの三つだけです。 後の二つ、罪祭と愆祭は義務でした。罪を犯したなら、携えて行かなければなりません。前の三つ、燔祭と素祭と酬恩祭は自発でした。それを手から引き出す律法はどこにもありません。ただ神を愛していたから、感謝したかっ...
創造が神にとってどれほどの代価であったかを、少し考えてみてください。 神は、ひと言で光を造られました。 「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」創世記 1:3 (口語訳) 星も、海も、山々も、銀河も——すべて同じでした。神が語られると、そのとおりに立ちました。 「主が仰せられると、そのようになり、命じられると、堅く立ったからである。」詩篇 33:9 (口語訳) 骨折りもなく、代価もなく、犠...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
幼な子イエスが宮に連れてこられたその瞬間、美しい「衛兵の交代」が起こりました。 そこにシメオンという老人がいました。彼は生涯をかけて、イスラエルの慰められる日を待ち続けていた人です。その名 (Shim'on) שִׁמְעוֹן — 「聞くこと」が示すとおり、シメオンはしばしば律法を映す姿として読まれてきました。正しく、敬虔で、そして、待っている姿です。 シメオンはイエスを見ると、その腕に抱いてこ...
旧約聖書を避けている、という方は少なくありません。裁きが語られ、のろいが並び、厳しい要求が続く。読みながら胸が重くなり、自分の失敗のゆえに神に罰せられるのではないかと、心配になってしまうのです。 けれども旧い契約は、主イエスの完成した御業というレンズを通して読まなければなりません。 「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。『木にかけられる...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
律法は、何をすべきかを告げます。恵みは、何がすでに成し遂げられたかを告げます。一方はあなたから取り立て、もう一方はあなたに供給します。そして聖書は、わたしたちが今どちらの下に生きているのかを、少しもあいまいにしていません。 ローマ人への手紙6章14節を耳にしたことのある方は多いでしょう。けれども、その一節が何を宣言しているのかに立ち止まった方は、そう多くありません。パウロは「律法と恵みのつり合いを...
かつてダビデは、神の臨在のしるしである契約の箱を、自分の町へ迎え入れようとしました。新しい車を用意し、盛大な行列を整えての出立でした。けれども、その旅は悲劇に終わります。ウザという人が、箱を支えようと手を伸ばし、その場で命を落としたのです。 (ウザ) עֻזָּא —「彼の力」 神の臨在を「自分の力」で扱おうとするとき、待っているのは疲れ果てた心と、力尽きた働きです。神が求めておられるのは、あなた...
多くの人は、霊の救いと体のいやしについては熱心に語ります。けれども思いについては、衰えていくのが当たり前だと受け入れてしまいます。まるで、そこだけは神が手をつけずに残されたかのように。 けれども聖書は、まさにその領域について、はっきりと語っています。 「しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。」コリント人への第一の手紙 2:16 (口語訳) ここで「思い」と訳されている語は (ヌース) ν...
裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...
レビ記には、心に留めておきたい一つの絵があります。一羽の鳥は、らい病の人が清いと宣告されるまで、放たれることがありませんでした。 それは、主イエスのあがないのわざの影です。 キリストは死から解き放たれることができませんでした。あなたが義と宣告されるまでは。 パウロはこう書いています。 「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」ローマ人への...
死んだあと、人はどうなるのか。多くの人がそれを思い巡らしてきました。けれども主イエスは、死んだ後の永遠を確保するためだけに来られたのではありません。今、命をもたらすために来てくださいました。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」ヨハネによる福音書 3:16 (口語訳) 永遠の命は、あなたが息を引き取る日に始...
法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...
人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...
神が人を造られたとき、その思いには、衰えも、混乱も、翳りもありませんでした。澄んでいることが、当たり前でした。冴えていることが、当たり前でした。安らいでいることが、当たり前でした。 思いが傷つきやすくなったのは、堕落の後のことです。混乱が入り込みました。物忘れが入り込みました。心の重さが入り込みました。 聖書ははっきりと告げます。 「ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいっ...
多くの信者が、心のどこかに不安を抱えたまま聖餐にあずかってきました。「わたしは、ほんとうに赦されているのだろうか」「わたしの人生には、まだのろいが残っているのではないか」「神は、まだ何かをわたしに対して数え上げておられるのではないか」 けれども主イエスは、この問いに一度きりで決着をつけてくださいました。 杯を取り上げて、主はこう言われました。 「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のため...
聖餐は儀式でも象徴でもありません。聖書はそれを、思い起こすためのものだと語ります。 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。ルカによる福音書 22:19 (口語訳) ここで用いられているのは (アナムネーシス) ἀνάμνησις — 「記念、思い起こすこと」という言葉です。...