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検索語: 賛美

5件の記事が見つかりました

セラ——立ち止まるという技

聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

ダビデの幕屋は建て直される

終りの日に、神が建て直すと約束されたものがあります。それはモーセの幕屋ではありませんでした。あの制度は、隔たりと重い律法と、目に見える仕切りの上に立っていたからです。神が起すと言われたのは、倒れたままになっていたダビデの幕屋でした。 「その日には、わたしはダビデの倒れた幕屋を興し、その破れを繕い、そのくずれた所を興し、これを昔の日のように建てる。」 アモス書 9:11 (口語訳) モーセの幕屋では...

ヘセド ― 追いかけてやまない神の愛

ヘブライ語聖書には、日本語のどの一語にも収まりきらない言葉があります。「あわれみ」「いつくしみ」「変わらない愛」「誠実」「真実」。訳者たちはさまざまに訳し分けてきました。どの訳語も、その一面はとらえています。けれども、すべてをとらえた訳語はひとつもありません。 その言葉が (ヘセド) חֶסֶד — 「契約に根ざした、絶えることのない愛」です。 旧約聖書に二百五十一回現れます。詩篇を満たし、ルツの...

つぶやけば、そこに留まる

つぶやきというものを、私たちはつい「悪い癖」くらいに考えます。けれどもヘブライ語をたどっていくと、それは癖などではなく、罠であることが見えてきます。 「つぶやく」にあたるヘブライ語は、こうです。(ルーン) לוּן — 「夜を過ごす、宿る、留まる」 同じ一つの語が、口語訳では場面によって訳し分けられています。ルツ記 1:16 では「宿る」と訳され、民数記 14:2 では「つぶやく」と訳されています...