つぶやきというものを、私たちはつい「悪い癖」くらいに考えます。けれどもヘブライ語をたどっていくと、それは癖などではなく、罠であることが見えてきます。

「つぶやく」にあたるヘブライ語は、こうです。(ルーン) לוּן — 「夜を過ごす、宿る、留まる」

同じ一つの語が、口語訳では場面によって訳し分けられています。ルツ記 1:16 では「宿る」と訳され、民数記 14:2 では「つぶやく」と訳されています。手元の聖書で並べて読んでみてください。つぶやくことと、そこに泊まり込むことは、もともと一つの言葉なのです。

つまり、自分の置かれた状況について不平を言うとき、人はその場所に天幕を張っていることになります。一番出て行きたいはずの場所で、腰を落ち着け、一夜を明かす。つぶやく者は、そこに留まるのです。

イスラエルの民は荒野でつぶやきました。そして荒野に留まりました。守りの垣根はそこから崩れ、敵が入り込んできたのです。

今の状況から抜け出したいと願うなら、まず口にする言葉を変えることです。賛美は前へと運ぶ乗り物であり、つぶやきは足を止めさせる錨です。

「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。」 ピリピ人への手紙 2:14 (口語訳)

そこに留まりたくないのなら、そこにいることへのつぶやきをやめることです。