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カイロスの意味とは?時計では測れない神の時
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
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多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
ある父親は、毎晩息子のベッドのそばにひざまずいて祈ります。けれども、庭でいっしょにボールを蹴ったことは一度もありません。十五歳になるころには、息子は部屋のドアをたたく音に身をこわばらせるようになっていました。 別の父親は、毎週土曜日になると娘とレゴの塔を組み立てます。けれども、娘といっしょに祈ったことはありません。娘は楽しい父親のもとで育ちましたが、神が自分の声を聞いてくださるという実感を持たない...
わたしたちはしばしば、神の祝福を受けるには、まず自分がその資格を整えなければならないと思い込みます。抱えている問題を片づけ、心の苦さをひとつ残らず取り除き、罪をすべて言い表してから、ようやくいやしを願えるのだ、と。神の力を、行いの良さに対するご褒美のように扱ってしまうのです。 けれども、福音書に描かれた主イエスのみわざを見るとき、そこにはまったく違う筋道が見えてきます。主イエスは、人をいやされる前...
多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...
弟子たちが一晩中網を下ろして、何一つ獲れなかったとき、主イエスは遠くから指図の声を張り上げたりはなさいませんでした。 岸に立っておられたのです。 語りかけられるほどの近さに。その声が届くほどの近さに。 「イエスが岸に立っておられた」 ヨハネによる福音書 21:4 (口語訳) 失敗は、主を遠ざけませんでした。かえって、出会いを生んだのです。 聖書は、この同じかたちを何度も見せてくれます。 「主は心の...
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
影には実体がありません。犬の影に噛まれることはなく、剣の影に切られることもありません。見た目はいかにも恐ろしくても、傷つける力は持っていないのです。 多くの信者が、暗い谷のような試練の中を歩きます。体の病、家庭の問題、仕事の重圧。そんなとき、敵はあなたに「もう逃げ場はない」と思わせたがります。けれども詩篇の作者ダビデは、私たちの見方を変える一つの約束を書き残しました。 「たといわたしは死の陰の谷を...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
私たちは罪を、規則を破ること、悪い行いをすることだと考えがちです。けれども聖書は罪を、神の栄光に達しないことと語ります。それは行いの失敗である以前に、立場の喪失であり、住む場所の喪失なのです。 ですから救いとは、あなたを地獄から遠ざけるだけのものではありません。あなたを栄光へと連れ戻すことなのです。 「そもそも、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
多くの信じる者は、イエスが自分の霊を贖ってくださったことを知っています。そのことを、私たちは喜び祝います。また、主がからだを癒やしてくださることも信じています。 けれども、その二つの間にある部分を、私たちはつい忘れてしまいます。心、すなわち思いです。 パウロは、一つの祈りの中にその三つをすべて並べています。 「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
きよさには、イメージの問題があります。 私たちはいつのまにか、きよさを「自分は他人より正しい」という態度と結びつけてしまいました。冷ややかで、人と距離を置き、裁くまなざし。高い台の上に立って、世を見下ろしている姿を思い浮かべるのです。 けれども、それはきよさではありません。高ぶりです。 ヘブライ語で「聖なる」は (カドーシュ) קָדוֹשׁ — 「選び分けられた、他と分けられた、聖なる」。ギリシ...
多くの信仰者が、自分のどこが悪いのかを調べることに、たくさんの力を注いでいます。検査の数値。症状。痛みの度合い。調べれば調べるほど不安をあおる検索結果や、ChatGPT への問いかけ。 アブラハムは、違う生き方をしました。 「彼は信仰が弱らず、すでに死んだも同然の自分のからだを、じっと見つめることをしなかった。不信仰によって神の約束を疑い、ぐらつくことはなかった。」ローマ人への手紙 4:19–20...
望みがないという状態は、心だけでなく体にも及びます。望みを失うと、朝、目覚めた時点ですでに疲れています。何をするにも気力が湧かず、重たいものが胸の底に残ります。仕事を見ても、夫婦の間を見ても、家族を見ても、目に映るのは暗い色ばかりです。 こうした心の状態は、多くの場合、自分が何を取り入れてきたかの結果です。暗い報道や、この世の悲観的な見通しばかりで心を満たせば、心は沈みます。処方箋は、神の言に日ご...
血には、声があります。 人類最初の殺人で、カインは弟アベルを殺しました。それは宗教が起こした殺人でした。自分の手の働き、自分の畑の実りをもって神に近づこうとした兄が、小羊の血をもって神に近づいた弟を手にかけたのです。 その後、神はこう言われました。「あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます」 創世記 4:10 (口語訳)。アベルの血は、復讐を求めて叫びました。罪を犯した者への裁きを求めて...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
イエスは、正すことから始められませんでした。つながることから始められました。 召しについての話をなさる前に…失敗にお触れになる前に…何かをお命じになる前に… そこには、食事がありました。 「さあ、朝の食事をしなさい」 ヨハネによる福音書 21:12 (口語訳) 恵みはいつも、まずまじわりを養います。 イエスは、「ペテロよ、申し開きをしなさい」とは言われませんでした。ただ、「さあ」と招かれたのです。...
イエスに手を伸ばした人は、みないやされました。 イスラエルのすべての人ではありません——来た人だけです。ふさわしい人だけでもありません——ふさわしい人など、ひとりもいませんでした。みなが分かっていたわけでもありません——けれども、触れた人はみな受け取りました。 「そしてさわった者は皆いやされた。」マルコによる福音書 6:56 (口語訳) 面接はありません。資格もいりません。条件もつきません。 ある...
創造は輝かしいものでした。けれども、贖いはそれにまさります。 創造には、神の力が必要でした。贖いには、神のみ心が必要でした。 創造は、世界をかたちづくりました。贖いは、その世界を救いました。 神がアダムを造られたとき、そこには美しさがありました。けれども、主イエスが人を贖われたとき、そこには勝利がありました。 聖書は、この順序をこう告げています。 「世の初めからほふられた小羊」ヨハネの黙示録 13...