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17件の記事が見つかりました

もう、着いています

見知らぬ国を、長い時間かけて車で走っていると想像してみてください。体は疲れ、肩には力が入り、目は宿を探しています。曲がるところを間違えたのではないか——そう思ってはカーナビを確かめ、また確かめる。体の緊張はじわじわと高まっていきます。ところがふと顔を上げると、宿はすぐ目の前にあるのです。車はもう、その車寄せに止まっている。着いていたのです。 その瞬間、こわばりがすっと抜けていきます。探すのをやめ、...

あなたは小さな人生のために造られていません

多くの人は、日々を仕事と用事と、たまの休みの繰り返しのように過ごしています。けれども神は、あなたのために、それとは別の計画を用意しておられます。 あなたは、生まれるより前から定まり、一生の長さでは収まりきらない使命を負っています。 パウロは、神の夢をこう描いています。 「それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。」エペソ人...

孤独に、聖書はどう答えるか

人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...

悪魔の唯一の武器

空港の搭乗口に立ったまま、どうしても機内に足を踏み入れられない人がいます。本人は「飛行機が怖いのです」と言います。けれども、正確ではありません。怖いのは飛行機ではなく、墜落です。その恐れをどこまでもたどっていくと、行き着く先はひとつ。死ぬことが怖いのです。 同じ根が、人間のほとんどの恐れの下に横たわっています。高い所を恐れるのは、落ちれば命を落とすからです。病を恐れるのは、その先に墓があるからです...

ありふれない、という生き方

きよさには、イメージの問題があります。 私たちはいつのまにか、きよさを「自分は他人より正しい」という態度と結びつけてしまいました。冷ややかで、人と距離を置き、裁くまなざし。高い台の上に立って、世を見下ろしている姿を思い浮かべるのです。 けれども、それはきよさではありません。高ぶりです。 ヘブライ語で「聖なる」は (カドーシュ) קָדוֹשׁ — 「選び分けられた、他と分けられた、聖なる」。ギリシ...

神が「家」を与えてくださる理由

神がご自身の臨在を「家」と呼ばれるのには、わけがあります。それは、ただの場所ではありません。それは、覆いです。 主イエスは言われました。 「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。」 ヨハネによる福音書 14:2 (口語訳) 隠れるための部屋ではありません。属するための部屋です。 世は、音と光と人の群れであなたを取り囲むことができます。それでも、心はむき出しのままにされることがあります。手は上が...

嵐を越えて、流れる地へ

新しい季節は、しばしば嵐とともに始まります。世界を見渡せば、騒がしさばかりが目につきます。自分の状況に目をやれば、風の冷たさが肌に触れます。舟は荒れた海のただ中にあるように思え、不安が心を占めようとします。 けれども、嵐はあなたの行き先ではありません。 神がイスラエルをエジプトから救い出されたのは、彼らを荒野に置き去りにするためではありませんでした。ある特定の場所へ導き入れるために、救い出されたの...

歩みに残る神の指紋

自分の人生に神のみわざを読み解く力、それが知恵です。 私たちはたいてい、何が起こったかを知ってから、ずいぶん経ってようやくなぜかを知ります。 ヨセフは、裏切られ、奴隷として売られ、身に覚えのない罪を着せられ、獄につながれました。けれども、来し方をふり返ってこう言えるようになったのは、ずっと後のことでした。 「神はそれを良きに変らせて」 創世記 50:20 (口語訳) これこそ知恵です。人生を思いど...

務めの前に、まじわりを

イエスは、正すことから始められませんでした。つながることから始められました。 召しについての話をなさる前に…失敗にお触れになる前に…何かをお命じになる前に… そこには、食事がありました。 「さあ、朝の食事をしなさい」 ヨハネによる福音書 21:12 (口語訳) 恵みはいつも、まずまじわりを養います。 イエスは、「ペテロよ、申し開きをしなさい」とは言われませんでした。ただ、「さあ」と招かれたのです。...

見ることと、悟ること

信じていない人でも、幻を見ることはあります。けれども、それを解き明かすのは、神から出た知恵だけです。 パロは夢を見ました。ネブカデネザルも夢を見ました。バラムは幻を見ました。 けれども、そのだれひとり、自分の見たものの意味を悟ってはいませんでした。 聖書は、そのことを繰り返し示しています。 「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである」 申命記 29:29 (口語訳) 見ることと、悟ることは、同...

律法の下ではなく、恵みの下に

律法は、何をすべきかを告げます。恵みは、何がすでに成し遂げられたかを告げます。一方はあなたから取り立て、もう一方はあなたに供給します。そして聖書は、わたしたちが今どちらの下に生きているのかを、少しもあいまいにしていません。 ローマ人への手紙6章14節を耳にしたことのある方は多いでしょう。けれども、その一節が何を宣言しているのかに立ち止まった方は、そう多くありません。パウロは「律法と恵みのつり合いを...

努力では開かない扉

学ぶことも、人とのつながりも、悪いものではありません。けれども、そのどちらも、神だけが開くことのできる扉を保証してはくれません。 ヨセフには、誇れる経歴がありませんでした。肩書もありません。後ろ盾となる人脈もありません。 それでも、聖書はこう記します。 「主が彼の手のすることをみな栄えさせられる」創世記 39:3 (NKJV より私訳) 栄えたのは、うまい手立てがあったからではありません。主がとも...

払いすぎた代価

友人に一万ドルの借りがあると想像してみてください。この日までに返すと約束したのに、その日は過ぎ、手もとにお金はありませんでした。 そのあと、何が起こるでしょうか。その友人の顔を見るたびに、胸がちくりと痛みます。だんだん会うのを避けるようになります。話しかけずにすむように、道の反対側へ渡ったりもします。相手を嫌っているわけではありません。ただ、良心に負債がのしかかっているのです。 これが、神に対する...

あなたの価値を決めたのは、十字架です

肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...

平安は、場所ではありません

私たちはしばしば、平安を「どこかにある目的地」のように思い描きます。 静かな海辺。森の中の小屋。扉を閉め、耳をふさいで、音を遮断した一室。私たちは平安を、どこかで見つけ出すものか、深呼吸と予定表の余白によって自分でつくり出すものだと考えています。 けれども主イエスは、「平安を探しに行きなさい」とは言われませんでした。 「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える」ヨハネ...

終わりの時は、いま

「終わりの時」と聞くと、憶測の種か、あるいは恐れの種として受け止める人が少なくありません。けれども主イエスは、この時代を見分けるための、はっきりと目に見えるしるしを与えてくださいました。戦争、戦争のうわさ、大きな地震、そして世界規模の疫病。主が挙げられたのは、まさに私たちが今日、日々の報道で目にしているものばかりです。 「また恐ろしい事や、天からの物すごい前兆があるであろう。」 ルカによる福音書...

もう力まなくていい――聖書が語る安息

神はすべてのわざを終え、造られたものをことごとく見渡し、それから思いがけないことをなさいました。休まれたのです。疲れたからではありません。すべてが完成したからです。 このひとつの出来事――第七日の安息――が、聖書に記されたあらゆる平安の約束、供給の約束、守りの約束の土台になりました。それなのに、多くの信仰者は今も、安息を「余裕のある人にだけ許された贅沢」のように扱っています。 聖書は安息を付け足し...