あなたの価値を決めたのは、十字架です

肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。
聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、史上もっとも高い代価をもって、それを揺るがぬものとされました。
この記事では、自分の価値について聖書が語る言葉を集め、その背後にあるヘブル語・ギリシア語をたどり、恵みを中心にした価値の見方——成果とともに上下しない見方——がどのようなものかを見ていきます。
原語が語る「価値」
神があなたをどう見ておられるか。その全体像を映す言葉が、聖書に二つあります。
一つは、ヘブル語の (segullah) סְגֻלָּה —「宝とされる所有物」。神がご自分の民を指して用いられた言葉です。
出エジプト記 19:5 (口語訳)
古代の世界で segullah とは、王の私的な宝物庫を指しました。国の財政ではなく、王が何よりも大切にしていた金と宝石の、個人の収蔵品です。神があなたを segullah と呼ばれるとき、それは「役に立つ」という意味ではありません。「かけがえがない」という意味です。道具は役に立ちます。宝はいつくしまれます。
申命記も同じ言葉を繰り返します。
申命記 7:6 (口語訳)
もう一つは、ギリシア語の (poiema) ποίημα —「作品」「傑作」。パウロがエペソ人への手紙で用いた言葉です。
エペソ人への手紙 2:10 (口語訳)
「詩(ポエム)」という語は、このポイエーマから生まれました。意図をもって、技を尽くして仕上げられたものを指す言葉です。あなたは大量生産品ではありません。パウロは、あなたは神のポイエーマだと言います。目的をその設計のうちに織り込んで、神がわざわざ描いてくださった一点ものの作品です。しかも順序に目を留めてください。先に神があなたを造られ、良い行いのほうが「あらかじめ備えて」あったのです。努力で居場所を勝ち取るのではありません。すでに神が整えてくださった道を歩むのです。
自分の価値について語る聖書の12の言葉
1. 創世記 1:26–27 — 神のかたちに造られた
創世記 1:26–27 (口語訳)
履歴書よりも、評判よりも先に、神はご自分のかたちをあなたに刻まれました。「かたち」と訳されたヘブル語は (tselem) צֶלֶם —「像、かたどられた姿」。王の顔を刻んだ貨幣のように、あなたは神の刻印を帯びています。人間の尊厳はそこから来ています。どんな失敗も、その刻印を消すことはできません。
2. 詩篇 139:13–16 — 生まれる前から知られていた
詩篇 139:13–16 (NKJV より私訳)
ここで「くすしく」と訳される語は、ヘブル語の (nifle'ti) נִפְלֵאתִי。語根は (pala) פָּלָא —「並外れている、際立っている、他と区別されている」。口語訳もこの箇所を「くすし」という語で訳しています。神はあなたを流れ作業でこしらえたのではありません。一点ものに向き合う職人の、あの丹念さであなたを形づくられました。神はまず、あなたから始められます。あなたの成果からではありません。
3. マタイによる福音書 10:29–31 — すずめよりもまさって
マタイによる福音書 10:29–31 (口語訳)
一世紀のパレスチナで、すずめは市場でいちばん安い品でした。それでも、一羽たりとも父の目をのがれて落ちることはありません。そのうえで主は言われます。あなたは多くのすずめにまさる、と。市場でもっとも値の低い生き物さえ数えておられる神が、あなたを数え落とすはずがありません。あなたの値打ちは、経済が算出するものではなく、造り主が定められるものです。
4. イザヤ書 43:4 — 尊く、重んじられて
イザヤ書 43:4 (口語訳)
「尊く」にあたるヘブル語は (yaqar) יָקָר —「高価な、まれな、輝かしい」。宝石や貴石を言い表すのと同じ語です。神は「証明したから尊くなった」とは言われません。「あなたは尊い」と、由来を語られるのです。そして、その値打ちゆえに「わたしはあなたを愛する」と続きます。神はあなたを、これまでの成績ではなく、イエスにしたがって見ておられます。
5. エペソ人への手紙 2:10 — 神の傑作
エペソ人への手紙 2:10 (口語訳)
先に見たとおり、(poiema) ποίημα は丹精込めて造られた作品を意味します。ここで前後関係に目を留めてください。この直前の二節はこう告げます。「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためである」(エペソ人への手紙 2:8–9、口語訳)。「傑作」は、「あなたには勝ち取れない」という宣言のすぐあとに置かれています。神の作品というあなたの身分は、報酬ではなく贈り物なのです。
6. ペテロの第一の手紙 2:9 — 王なる祭司
ペテロの第一の手紙 2:9 (口語訳)
ペテロは一節のうちに四つの身分を重ねます。選ばれ、王に属し、聖とされ、神のものとされている。口語訳が「神につける民」と訳す句は、ギリシア語で (laos eis peripoiesin) λαὸς εἰς περιποίησιν —「神ご自身の所有とされた民」。あのセグッラーに対応する表現です。あなたは単に集団の一員なのではありません。神の私的な宝物庫に置かれた一人なのです。あなたは暗やみから呼び出されました。その召しが、今のあなたを定めています。
7. エレミヤ書 1:5 — 知られ、聖別されて
エレミヤ書 1:5 (口語訳)
神はエレミヤに三つのことを告げられました。わたしはあなたを知っていた、聖別した、使命を与えた——そのすべてが、生まれる前のことです。ここで「知り」と訳された語は (yada) יָדַע。単なる知識をはるかに超えて、親しく、人格的に交わることを指します。神はあなたが誕生してから発見されたのではありません。母親が身ごもったことに気づくより前に、すでにあなたをご存じでした。あなたの値打ちは、人生が始まるより先に決まっていたのです。
8. ローマ人への手紙 8:31–32 — 神がわたしたちの味方なら
ローマ人への手紙 8:31–32 (口語訳)
パウロの論法は、いわば算術です。存在するうちで最も尊いもの——御子——をあなたのために差し出された神が、それより小さなものを惜しまれるはずがありません。十字架は、究極の値札です。神があなたをどれほどの価値と見ておられるかを、そこに読み取ることができます。御子を惜しまれなかった。それがあなたの値打ちです。空の墓は、あなたの領収書です。
9. ガラテヤ人への手紙 2:20 — わたしを愛して
ガラテヤ人への手紙 2:20 (口語訳)
パウロは「世を愛された」とは書きません。「わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた」と書きます。これは個人に向けられた言葉です。十字架は世界規模の出来事であると同時に、一人ひとりの出来事でした。キリストは、あなたひとりのためであったかのように死なれたのです。それが、神の目に映るあなたの値打ちの大きさです。
10. 雅歌 4:7 — きずひとつない
雅歌 4:7 (口語訳)
花婿が花嫁に語ります。きずはない、と。「きず」にあたるヘブル語は (mum) מוּם —「欠陥、汚点、資格を失わせるもの」。犠牲のささげものとなる小羊を失格にする傷を指すのと同じ語です。キリストにあって、神はあなたを見て宣言されます。失格はない、と。あなたが完全を達成したからではありません。イエスの完成されたみわざが、神の目から一切のきずを取り除いたからです。
11. ゼパニヤ書 3:17 — あなたを喜び歌われる神
ゼパニヤ書 3:17 (NKJV より私訳)
神があなたのために歌われる、と言うのです。「喜ぶ」と訳されたヘブル語は (yasis) יָשִׂישׂ —「躍り上がるほどの、あふれる喜び」。神はあなたを我慢しておられるのではありません。しぶしぶ受け入れておられるのでもありません。あなたを心から喜んでおられるのです。親が子をあやしながら歌うのは、その子が歌に値する何かをしたからではなく、その子が自分の子だからです。
12. コリント人への第二の手紙 5:17 — 新しく造られた者
コリント人への第二の手紙 5:17 (口語訳)
過去があなたの値打ちを決めるのではありません。キリストにあって、あなたは新しく造られた者——(kaine ktisis) καινὴ κτίσις です。ここで用いられる (kaine) καινή は「つい最近の」という意味の新しさではありません。「質において新しい、前例のない、これまでのどれとも違う」という意味です。神は古いあなたを修理されたのではありません。まったく新しい者を創造されたのです。古いあなたは修理中なのではありません。もういないのです。
世の物差しと、神の物差し
世は四つのレンズであなたの値打ちを測ります。何を生み出すか、何を持っているか、どう見えるか、人が何と言うか。四つとも外側にあります。四つとも揺れ動きます。四つとも、たった一日で崩れ落ちることがあります。
成果。 結果を出せば価値がある、と世は言います。不振の四半期、落とした締め切り、頓挫した企画——それだけであなたの株価は下がります。けれども神は、あなたが何かを生み出す前に値打ちを宣言されました。アダムの最初のまる一日は安息日でした。労働ではなく、休みです。彼の価値は、指一本動かす前に定められていました。
所有。 積み上げれば価値がある、と世は言います。けれども主イエスは言われました。「人のいのちは持ち物にはよらないのである」(ルカによる福音書 12:15、口語訳)。持ち物は道具であって、身分証ではありません。
外見。 十年ごとに書き換わる美の基準を満たせば価値がある、と世は言います。けれども神はサムエルに告げられました。「主は人が見るようには見られない。人は外の顔かたちを見るが、主は心を見る」(サムエル記上 16:7、NKJV より私訳)。
承認。 十分な人数に認められれば価値がある、と世は言います。けれどもパウロはこう書きました。「今わたしは、人に取り入ろうとしているのでしょうか、それとも神にでしょうか。人に喜ばれようとしているのでしょうか。もし今もなお人に喜ばれようとしているなら、わたしはキリストの僕ではないでしょう」(ガラテヤ人への手紙 1:10、NKJV より私訳)。自分の値打ちが承認に乗っているなら、季節ごとに採点表を変える観客の前で、一生舞台に立ち続けることになります。
神の基準は違います。神はこれらのどの指標でもあなたを評価されません。評価の基準はただ一つ、あなたがだれのものかです。
あなたは神のかたちを帯びる者です(創世記 1:27)。あなたは神の作品です(エペソ人への手紙 2:10)。あなたは神の宝です(出エジプト記 19:5)。あなたは、神の御子がそのために死なれた、その人です(ローマ人への手紙 8:32)。
どれ一つとして相場で上下しません。どれ一つとして手入れを要しません。どれ一つとして、あなたから奪えるものはありません。神の前でのあなたの立場は、感情とともに上下しません。
恥と比較、そしてあなたを奪う嘘
恥は、人の身分をねらう最も古い武器です。堕落の直後、創世記3章に姿を現しました。
創世記 3:7 (口語訳)
罪の前、アダムとエバは裸であって恥じていませんでした(創世記 2:25)。罪のあと、二人が真っ先にしたのは身を覆うことでした。恥はこうささやきます。おまえは見られている。おまえは足りない。隠れたほうがいい、と。
その衝動は今も変わりません。恥は今も人を隠れさせます。実績の陰に、肩書きの陰に、整えられたプロフィールの陰に。けれども、神がどうなさったかに目を留めてください。神はアダムを探しに行かれました。「主なる神は人に呼びかけて言われた、『あなたはどこにいるのか』」(創世記 3:9、口語訳)。アダムが自分を立て直すのを待たれませんでした。ご自分のほうから、見つけに来られたのです。恵みは、責任を問う前に、まず関係を回復します。
比較は、恥の片腕です。パウロは正面から取り上げました。
コリント人への第二の手紙 10:12 (NKJV より私訳)
比較が「知恵のないしわざ」なのは、物差しが間違っているからです。自分の内側を、他人の外側で採点する。書きかけの一章を、相手の見どころ集と並べる。そうして、神が一度もあなたについて下されたことのない結論にたどり着くのです。
恥と比較、その両方の底にある嘘は同じです。あなたの価値は条件つきだ、稼ぎ、保ち、守らなければならない——という嘘です。けれども福音は逆を語ります。あなたの値打ちは造り主によって定められ、十字架で確かにされ、聖霊によって証印を押されました。それは条件ではなく、契約です。なぜ、意志の力より身分のほうが強いのか。
キリストにあるあなた——新しく造られた者
「キリストにあって」という句は、新約聖書に130回以上出てきます。比喩ではありません。法的であり霊的な、あなたの位置を示す言葉です。キリストにあるがゆえに真実である事柄を、聖書はこう語ります。
あなたは義とされています。 「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」(コリント人への第二の手紙 5:21、口語訳)。義は勲章ではなく、賜物です。
あなたは受け入れられています。 「それは、その恵みの栄光がほめたたえられるためであり、神はこの恵みによって、愛する者にあってわたしたちを受け入れてくださいました」(エペソ人への手紙 1:6、NKJV より私訳)。ここで「愛する者」と呼ばれているのは、バプテスマの時に父がイエスに与えられた呼び名と同じです。父が御子に注がれるその受容を、あなたも受けているのです。
あなたは神の子です。 「あなたがたは、恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ローマ人への手紙 8:15、口語訳)。試用期間中の使用人ではありません。すべての扉が開かれた子どもです。あなたの立場は、あなたのつまずきより強いのです。
あなたは満たされています。 「あなたがたは、すべての支配と権威のかしらであるキリストにあって、満たされた者とされています」(コロサイ人への手紙 2:10、NKJV より私訳)。「満たされて」にあたるギリシア語は (pepleromenoi) πεπληρωμένοι —「満ち満ちて、欠けがない」。キリストがすでに成し遂げられたことに、あなたが何かを足す必要はありません。あなたは思っている以上に、神の近くにいます。
これらは景気づけの標語ではありません。あなたの実際の位置について、神の言葉が語る事実です。自尊心は「自分の中に見えるもののゆえに、わたしには価値がある」と言います。キリストにある確信は「神がわたしのためにしてくださったことのゆえに、わたしには価値がある」と言います。前者は揺れます。後者は動きません。
本当の価値から生きるために
キリストにある自分の値打ちを知ると、日々の選び方が変わります。実際的な三つの転換をあげます。
1. 自己採点をやめ、受け取ることから始める。
多くの信仰者が、神が毎日の人事考課をしておられるかのように生きています。自分の行いを点検し、祈った時間を測り、今日は神の目を向けていただくに値するだろうかと計算する。けれども聖書は、神に近づく道はイエスの血によるのであって、昨日の成績表によるのではないと言います。
ヘブル人への手紙 10:19–20 (口語訳)
神に近づく権利を、あなたが稼ぐのではありません。イエスがあなたのために勝ち取ってくださいました。神の光が照らし出すのは、あなたの汚れではなく、あなたの清さです。
2. 他人の評価に、値札を握らせない。
キリストにある自分を知っている人は、批判を受けても崩れず、賞賛を受けても舞い上がりません。どちらもただの情報であって、あなたそのものではないからです。パウロはこう言い切りました。
コリント人への第一の手紙 4:3 (口語訳)
パウロは外からの評価に寄りかからず、自己評価にさえ寄りかかりませんでした。さばきは神にお任せしたのです。それが、自由な人の姿です。神はあなたの欠けにうろたえたりなさいません。
3. 感情の言い分ではなく、神の言葉を口にする。
感情は本物ですが、いつも正確とはかぎりません。恥が「おまえは足りない」と言うとき、聖書は、あなたはキリストにあって満たされていると言います(コロサイ人への手紙 2:10)。比較が「おまえは遅れている」と言うとき、聖書は、神があなたの道をあらかじめ備えられたと言います(エペソ人への手紙 2:10)。失敗が「おまえは失格だ」と言うとき、聖書は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることはないと言います(ローマ人への手紙 8:1)。
ヘブル語の (hagah) הָגָה —「口ずさむ、自分に語りかける」は、詩篇のいたるところに現れます。ダビデは真理を思っただけではありません。口に出しました。詩篇42篇5節には、彼が自分の魂と交わす会話が残っています。「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め」(詩篇 42:5、口語訳)。魂に感情を語らせるのではなく、魂に何を信じるべきかを語ったのです。神が語られた言葉は、目に見えるものより長く残ります。
福音の答え
福音は「自分を信じなさい」とは言いません。福音は「神が見ておられるとおりに、自分を見なさい」と言います。
そして神は、御子の完成されたみわざを通してあなたを見ておられます。働き出す前から宝とされ、願い出る前から受け入れられ、御名を知る前から愛されていた者として。
あなたの値打ちは、もともとあなたが勝ち取るものではありませんでした。初めから、神が与えてくださるものだったのです。
この記事が心に残りましたか。毎朝、こうした短いディボーションをメールでお届けします。
