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検索語: “ヘブル人への手紙”

20件の記事が見つかりました

変わる時代、変わらぬ岩

世界は目まぐるしく変わります。技術も、伝える手段も、文化も、世代ごとに姿を変えていきます。残念なことに、教会はその変化に恐れをもって応じてしまうことが少なくありません。新しい道具にはすぐ「危ないもの」という札を貼り、慣れ親しんだ伝統の中へ引きこもる。けれどもその後退は、教会を世から切り離し、福音を伝える力をみずから狭めてしまいます。私たちは、メッセージを損なわずに方法を変える道を学ばなければなりま...

自信のない自分に、聖書は何と言うか

ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...

収穫を期待するのは欲でしょうか

ひとりの少年が、枯れ葉を大きな籠にかき集めています。葉は軽いので、みるみるうちに山になり、籠はもう一杯に見えます。ところが少年は籠の中に入り、足で踏みつけます。葉は沈み、また入る余地ができます。もう一度かき集め、また満たし、また踏む。それから籠を揺すって葉を落ち着かせ、さらに足していきます。とうとう籠はもう一枚も受けつけず、山は縁からこぼれ落ちます。 主イエスが語られた収穫は、まさにこのとおりでし...

上げるのは、頭です

ある人が、寝床から出るより先にスマートフォンを開きます。戦争の記事、地震の速報、新しいウイルス、そして「この指導者は反キリストの特徴にすべて当てはまる」と語る動画を、指先で次々に流していきます。朝食のころには、もう恐れに捕らわれている。それを本人は「識別」と呼んでいます。 しるしは本物です。主イエスご自身が、それは来ると言われました。 「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、...

死は、もう後ろにあります

道の上に立ってみてください。人は一度に一つの方向しか向けません。墓に向かって立つか、救い主に向かって立つか。その両方を同時に向くことはできません。 多くの人は、死を前に置いて生きています。道の先にある動かぬ一点として扱うのです。誕生日が来るたびに一歩近づき、検査の結果は道のりを示す標識のように読める。だから人はそれを見越して計画を立て、備えて蓄え、そして恐れます。 聖書は、信じる者をその道の別の位...

人に気に入られたい心の正体

サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...

ソーゾー — 救いも、いやしも、解放も、ひとつの言葉に

多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...

あなたはアブラハムの子孫

主イエスは、堕ちた天使たちをあがなうために死なれたのではありません。天の存在の性質をまとって、彼らをその堕落から救い出されたのでもありません。主はその助けの手を、まっすぐにあなたへと向けられました。 「確かに、彼は天使たちを助けるのではなく、アブラハムの子孫を助けられるのである。」ヘブル人への手紙 2:16 (口語訳) あなたがキリストのものであるなら、あなたはアブラハムの子孫です。主の契約による...

希望の正体

わたしたちは「希望」という言葉で、少しつまずいているのかもしれません。 日ごろ使う「望み」は、どこか心もとない願いです。「雨が降らないといいな」「あの仕事が決まるといいな」。そこには不確かさがにじみ、結果はまだ宙に浮いたままです。 けれども聖書の言う希望は、投げたコインの裏表ではありません。それは錨です。 希望を表すギリシア語は (エルピス) ἐλπίς です。「たぶん」という意味ではありません。...

香ばしいかおりは、三つだけ

レビ記は、五つの供え物から始まります。イスラエルはその五つを同じ祭壇に運び、同じ火がそれを焼き尽くしました。それなのに、神が「香ばしいかおり」という言葉を添えられたのは、そのうちの三つだけです。 後の二つ、罪祭と愆祭は義務でした。罪を犯したなら、携えて行かなければなりません。前の三つ、燔祭と素祭と酬恩祭は自発でした。それを手から引き出す律法はどこにもありません。ただ神を愛していたから、感謝したかっ...

癒しは、力むより休むところに

いちばん深い戦いは、病そのものではないことがあります。自分の心に、自分でかけている重圧のほうが、ずっと苦しいのです。 癒されたい一心で、私たちは力み始めます。告白は足りていただろうか。正しく信じられているだろうか。祈りの時間は十分だっただろうか。 そうして力んでいるうちに、いつのまにか安息が消えてしまうのです。 けれども聖書は、私たちに必要な唯一の努力は、安息にはいることだと思い起こさせます。 「...

聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

神はあなたの祈りも等しく聞かれます

シナイ山で、イスラエルは仲立ちをする人を求めました。 神が山の上に降られ、人々はそのふもとに立っていました。けれども彼らは、自分から近づこうとせず、モーセを前に押し出したのです。 「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」 出エジプト記 20:19 (口語訳) この本能は、今も私たちから離れてい...

シナイか、シオンか

多くの信じる者が、まちがった山のふもとに天幕を張ったまま、そこで一生を過ごしています。 聖書は、二つの霊的な場所を並べて示します。シナイの山と、シオンの山です。 シナイは、律法が与えられた場所です。隔たりの場所、雷鳴の場所、身の震える場所。あまりの恐ろしさに、神の友と呼ばれたモーセさえ、揺さぶられたほどでした。 その光景が恐ろしかったので、モーセさえも、「わたしは恐れおののいている」と言った。 ヘ...

孤独に、聖書はどう答えるか

人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...

栄光へと導かれて

私たちは罪を、規則を破ること、悪い行いをすることだと考えがちです。けれども聖書は罪を、神の栄光に達しないことと語ります。それは行いの失敗である以前に、立場の喪失であり、住む場所の喪失なのです。 ですから救いとは、あなたを地獄から遠ざけるだけのものではありません。あなたを栄光へと連れ戻すことなのです。 「そもそも、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、...

造るには御言葉、あがなうには血

創造が神にとってどれほどの代価であったかを、少し考えてみてください。 神は、ひと言で光を造られました。 「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」創世記 1:3 (口語訳) 星も、海も、山々も、銀河も——すべて同じでした。神が語られると、そのとおりに立ちました。 「主が仰せられると、そのようになり、命じられると、堅く立ったからである。」詩篇 33:9 (口語訳) 骨折りもなく、代価もなく、犠...

神はわたしに失望しているのか

また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...

悪魔の唯一の武器

空港の搭乗口に立ったまま、どうしても機内に足を踏み入れられない人がいます。本人は「飛行機が怖いのです」と言います。けれども、正確ではありません。怖いのは飛行機ではなく、墜落です。その恐れをどこまでもたどっていくと、行き着く先はひとつ。死ぬことが怖いのです。 同じ根が、人間のほとんどの恐れの下に横たわっています。高い所を恐れるのは、落ちれば命を落とすからです。病を恐れるのは、その先に墓があるからです...

揺れの中で立つ

揺り動かされうるものは、すべて揺り動かされます。 制度も、経済も、人の手で作られた宗教も、震えています。わたしたちはそういう時代に生きています。聖書は、神が地と天とを揺り動かされる、と告げます。それは「振われないものが残るため」です。 では、最後まで残るものとは何でしょうか。恵みの御国です。 この揺れを、わたしたちはどう生き抜くのでしょうか。 「このゆえに、わたしたちは震われない国を受けているのだ...