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検索語: “与えること”

11件の記事が見つかりました

収穫を期待するのは欲でしょうか

ひとりの少年が、枯れ葉を大きな籠にかき集めています。葉は軽いので、みるみるうちに山になり、籠はもう一杯に見えます。ところが少年は籠の中に入り、足で踏みつけます。葉は沈み、また入る余地ができます。もう一度かき集め、また満たし、また踏む。それから籠を揺すって葉を落ち着かせ、さらに足していきます。とうとう籠はもう一枚も受けつけず、山は縁からこぼれ落ちます。 主イエスが語られた収穫は、まさにこのとおりでし...

繁栄は何のためか

「繁栄」という言葉を聞くと、どこか落ち着かない気持ちになる人は少なくありません。強欲さや自分本位、あるいは上っ面だけの教えを思い浮かべてしまうからです。その警戒心のあまり、神の約束を霊的な領域だけに閉じ込めてしまう。神は霊において豊かにしてくださる、そこまでは信じられる。けれども、からだの健康や日々の必要については、どこか自信が持てないままなのです。 しかし使徒ヨハネは、愛する信徒たちのために、は...

ソーゾー — 救いも、いやしも、解放も、ひとつの言葉に

多くのクリスチャンが、「救われた」という言葉を知っています。けれども、その言葉の背後にあるギリシア語 — ソーゾー — が、同時に「いやされた」「救い出された」「全きものとされた」「守られた」という意味を持っていることを知る人は、それほど多くありません。一つの言葉が、そのすべてを抱えているのです。 これは小さなことではありません。神は初めから、救いをあなたのたましいのところで止めるおつもりなどなか...

あえて貧しくなられた主

十字架の上からイエスが最後に見たものの一つは、ご自分の衣をめぐってくじを引く兵卒たちの姿でした。 「そこで彼らは互に言った、『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』。これは、『彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした』という聖書が成就するためであった。兵卒たちはそのようにしたのである。」 ヨハネによる福音書 19:24 (口語訳) すべてを所有しておられる方が、そこ...

憎しみへの、神の答え

人類は神の御子を捕え、木の十字架に釘づけにしました。それが、主の愛と数々のみわざに対する、私たちの返答でした。私たちは主を拒んだのです。 しかし神は、復讐をもって応じられませんでした。御子を拒んだこの世を、滅ぼし尽くすことはなさいませんでした。そうではなく、私たちの憎しみの行いを、ご自身の救いのみわざへと変えてくださったのです。 「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さ...

十分の一は、律法より先にありました

ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...

旅路が遠すぎるとき

燃え尽きは、いつも罪とはかぎりません。ときにそれは、ただ体の道理です。 わたしたちは疲れ果てても、立ち止まることを弱さの証拠のように思って、무理を押し通そうとします。もっと働こう、もっと長く祈ろう、とにかくやり遂げよう——そう自分に言い聞かせるのです。 けれども神は、わたしたち自身よりもはるかに現実的に、人の限界をご存じです。 エリヤが荒野で倒れ伏したとき、神は「起き上がってもっと励め」とは言われ...

一粒から始まる

聖書は、供給ということを果樹のはたらきになぞらえて教えています。見上げるほどの大木も、もとをたどればたった一粒の種です。その小さな一粒の中に、その木のすべてが畳み込まれている。けれども、木として立つためには、種は地に蒔かれなければなりません。 「地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も……やむことはないであろう」 創世記 8:22 (口語訳) 神は、私たちから取り上げる方ではありません。増やして与...

聖書が語る赦し ― 恵みが与える自由

法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...

規則では育たない実

福音は人を変えます。道徳だけを見つめていると、心に苦さが芽生えます。 恵みのない道徳は、重荷になります。愛のない重荷は、恨みに変わります。 だからこそ福音は、規則からも自己改善からも始まりません。始まりは、ひとりの方との出会いです。 主イエスは、パリサイ人たちに驚くべきことを言われました。 「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものであ...

与える心は反射です

求められることと、応えること。この二つのあいだには、深い隔たりがあります。 ルカによる福音書18章に、ひとりの金持ちの役人が登場します。品行方正で、非の打ちどころがなく、それでいて心は落ち着きません。彼は尋ねます。「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と。 イエスは彼に律法をお示しになります。戒めを指し示されます。青年は、それらをみな守ってきたと言い切ります。そこでイエスは、彼が神よりも愛し...