検索結果

検索語: “燃え尽き”

7件の記事が見つかりました

旅路が遠すぎるとき

燃え尽きは、いつも罪とはかぎりません。ときにそれは、ただ体の道理です。 わたしたちは疲れ果てても、立ち止まることを弱さの証拠のように思って、무理を押し通そうとします。もっと働こう、もっと長く祈ろう、とにかくやり遂げよう——そう自分に言い聞かせるのです。 けれども神は、わたしたち自身よりもはるかに現実的に、人の限界をご存じです。 エリヤが荒野で倒れ伏したとき、神は「起き上がってもっと励め」とは言われ...

燃え尽きたあなたへ、休んでよいのです

天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...

もう力まなくていい――聖書が語る安息

神はすべてのわざを終え、造られたものをことごとく見渡し、それから思いがけないことをなさいました。休まれたのです。疲れたからではありません。すべてが完成したからです。 このひとつの出来事――第七日の安息――が、聖書に記されたあらゆる平安の約束、供給の約束、守りの約束の土台になりました。それなのに、多くの信仰者は今も、安息を「余裕のある人にだけ許された贅沢」のように扱っています。 聖書は安息を付け足し...

ほんとうに続く愛

熱に浮かされた恋と、愛。その違いはどこにあるのでしょうか。一方は相手を使い、愛は相手にとっての最善を求めます。 並べてみると、こうです。 恋の熱はつかみ取ります。愛は差し出します。 恋の熱は問います。「あなたから何が得られるだろう」愛は思いめぐらします。「何があなたを満たすのだろう。たとえ自分が何かを失うとしても」 「愛は……自分の利益を求めない」 コリント人への第一の手紙 13:5 (口語訳)...

規則では育たない実

福音は人を変えます。道徳だけを見つめていると、心に苦さが芽生えます。 恵みのない道徳は、重荷になります。愛のない重荷は、恨みに変わります。 だからこそ福音は、規則からも自己改善からも始まりません。始まりは、ひとりの方との出会いです。 主イエスは、パリサイ人たちに驚くべきことを言われました。 「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものであ...

見えるものという罠

聖書の中で、これほど不思議な食い違いはそうありません。 ある時のエリヤは、カルメル山に立ち、天から火を呼び下し、一国の偽預言者たちを打ち破ります。恐れる影もありません。「わたしの仕える主、イスラエルの神は生きておられる」と言い切るその人は、目に見えない神を、まるで目の前にいるかのように意識していました。 ところがその直後、王妃イゼベルから脅しのことばが届くと、彼は命がけで逃げ出すのです。 「そこで...

知恵は、時を買い戻す富

私たちは、失敗を避け、重圧を振り切り、「正しい」選択をしようとして、ずいぶんな力を使います。けれども、もっと良い道があります。 「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は……神に願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」ヤコブの手紙 1:5 (口語訳) 知恵とは、頭の良さではありません。神によって形づくられた洞察です。誤った戦い、誤った関わり、誤った約束に足を踏み入れずに済...