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20件の記事が見つかりました

もう、着いています

見知らぬ国を、長い時間かけて車で走っていると想像してみてください。体は疲れ、肩には力が入り、目は宿を探しています。曲がるところを間違えたのではないか——そう思ってはカーナビを確かめ、また確かめる。体の緊張はじわじわと高まっていきます。ところがふと顔を上げると、宿はすぐ目の前にあるのです。車はもう、その車寄せに止まっている。着いていたのです。 その瞬間、こわばりがすっと抜けていきます。探すのをやめ、...

癒しは、力むより休むところに

いちばん深い戦いは、病そのものではないことがあります。自分の心に、自分でかけている重圧のほうが、ずっと苦しいのです。 癒されたい一心で、私たちは力み始めます。告白は足りていただろうか。正しく信じられているだろうか。祈りの時間は十分だっただろうか。 そうして力んでいるうちに、いつのまにか安息が消えてしまうのです。 けれども聖書は、私たちに必要な唯一の努力は、安息にはいることだと思い起こさせます。 「...

聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

孤独に、聖書はどう答えるか

人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...

するか、知るか

主イエスを愛することと、主イエスを分かっていることとは、別のことです。 マグダラのマリヤは、深く主を愛していました。多くをゆるされた人でした。けれども復活の朝、彼女は香料を携えて墓へ来ました。亡骸に油を塗るための備えをして来たのです。心は献身で満ちていましたが、頭の中は死で占められていました。王を捜すべき朝に、彼女は遺体を捜していたのです。 ここでベタニヤのマリヤを思い起こしてみましょう。 主の足...

顕微鏡の朝、望遠鏡の朝

聖書には、誠実な読み方が二つあります。ところが多くの人は、そのうちの片方しか持ち合わせていません。 ひとつは、近くを見る読み方です。一つの節を選び、そこにとどまります。朝に読み、昼にもう一度それを転がしてみる。何年も素通りしていた一語に、ふと目が留まる。 「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。」 詩篇 1:2 (口語訳) これが顕微鏡の読み方です。距離を稼ぐのではありませ...

みことばの畑を守る

旧約の時代、イスラエルの敵は収穫の時を待ち構えていました。作物が実ると、ミデアンびとが押し寄せて食糧を奪っていったのです。ギデオンが夜、酒ぶねの中で麦を打たなければならなかったのも、ただそれを隠すためでした。 ダビデには、自分たちの食糧を敵に渡すまいとした勇士たちがいました。その一人、シャンマという人は、レンズ豆の畑のただ中に立ちました。 「しかし彼はその地所の中に立って、これを防ぎ、ペリシテびと...

なぜ彼は、だれよりも長く生きたのか

エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。 エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。 「エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」 創世記 5:21-22 (口語...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

神の定める成功

私たちはつい、画面に並ぶ数字や机に向かった時間の長さで成功をはかります。昼も夜も相場を追いかけ、目が腫れるまで見つめ続けます。疲れ果てることこそ、繁栄の代価なのだと思い込んでいるのです。 けれども神は、成功をまったく別の言葉で定義なさいます。神がヨシュアに語りかけられたとき、お与えになったのは戦の作戦でも、額に汗する労働の手引きでもありませんでした。お与えになったのは、み言葉についての命令でした。...

至聖所のことば

わたしたちは、霊と魂と体という三つからなる者です。それは、古代の幕屋の姿をそのまま映しています。外庭は体、聖所は魂、そして至聖所は霊にあたります。 日々の暮らしの大半は、はじめの二つの場所で営まれています。体で感じることに目を向け、心で考えることに時間を費やす。けれども、異言をもって祈るとき、あなたは至聖所から――霊なる人として――神の前に立っているのです。 「しかし、愛する者たちよ。あなたがたは...

台無しに見えて、そうではない

ちょうどよい時に、ちょうどよい場所にいる——それは、そよ風のように心地よいものだと、わたしたちはつい思い込みます。足もとに赤いじゅうたんがすべらかに敷かれ、扉はひとりでに開き、何もかもがぴたりと収まっていく。そんな光景を思い描くのです。 けれども、神の定めた出会いは、まるで災難のような顔をしてやって来ることがあります。 (カイロス) καιρός — 「定められた時、ふさわしい季節、好機」 「ちょ...

守るだけでは、忠実ではありません

わたしたちはしばしば、安全に守ることを忠実さと取り違えます。 ミナのたとえでは、ある身分の高い人が、王位を受けるために遠い国へ旅立ちます。出かける前に、僕たちに金を預け、はっきりとした言いつけを残しました。 「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」 ルカによる福音書 19:13 (口語訳) 帰ってきた主人は、僕たちを一人ずつ確かめます。最初の僕は、一ミナを十ミナにしていました。主人はこれを...

恵みの幾何学

私たちはしばしば、苦しみと喜び、つまずきと祝福を、同じ一本の時間軸の上に並べて眺めます。どちらも同じ重さを持つかのように。けれども聖書は、私たちの人生にもう少し違うかたちを——別の幾何学を描いています。 「悪しき日」と「さいわいな日々」。この二つには、はっきりとした違いがあります。 「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい」 エペ...

性の妥協が残すもの

世は、輝いて見える場面ばかりを好みます。その裏にある代償を映すことは、めったにありません。 約束のないままの体の親しさは、はじめのうちこそ胸が高鳴ります。けれども、その後から現実が、問いと恐れを連れてやって来ます。眠れないまま、あの時間を何度も思い返す夜のことを、誰も前もって教えてはくれませんでした。 聖書はこう語ります。 「しかし、不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。」コリン...

セラ——立ち止まるという技

聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...

王はまず、筆を執る

旧約の時代、神は王座に着く者に、一風変わった命令をお与えになりました。まず軍を増やせとも、宮殿を高く築けとも言われません。筆を執りなさい、と言われたのです。 「彼がその国の王座に座するようになったならば、彼はこの律法の写しを、自分のために一つの書物に書きしるさなければならない。……それを身近く置き、生きながらえる日の間、常にそれを読まなければならない。」 申命記 17:18-19 (NKJV より...

燃え尽きたあなたへ、休んでよいのです

天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...

あなたの価値を決めたのは、十字架です

肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...

遅い時間が、人を強くする

神が私たちのうちでなさる最も大切な働きは、しばしば、私たちが「霊的」とは決して呼ばない場所で起こります。赤信号、長い行列、のろのろと進む前の車、そして、その日に思い描いていた歩調をあっさり崩してしまう思いがけない中断の中で。 科学は今、聖書がずっとほのめかしてきたことを裏づけています。急ぎ、張りつめた暮らしは、体をすり減らしていきます。けれども、静かで急がない心は、長く保たれるのです。 箴言は、ご...