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荒野に足止めした一語
十一日。ホレブの山からカナンの境までは、歩いてそれだけの道のりです。 「ホレブからセイル山の道を経て、カデシ・バルネアに達するには、十一日の道のりである。」 申命記 1:2 (口語訳) イスラエルは、四十年かかりました。 彼らは神を知らない民ではありませんでした。過越の小羊の血が、その家の戸口をおおっていました。紅海を、かわいた地を踏んで渡りました。エジプトの軍勢が背後に沈んでいくのを、その目で見...
検索語: “申命記”
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十一日。ホレブの山からカナンの境までは、歩いてそれだけの道のりです。 「ホレブからセイル山の道を経て、カデシ・バルネアに達するには、十一日の道のりである。」 申命記 1:2 (口語訳) イスラエルは、四十年かかりました。 彼らは神を知らない民ではありませんでした。過越の小羊の血が、その家の戸口をおおっていました。紅海を、かわいた地を踏んで渡りました。エジプトの軍勢が背後に沈んでいくのを、その目で見...
ある父親が、九歳の息子の隣に腰を下ろします。息子は大好きなテレビ番組に見入っています。決められたテレビの時間なので、父親はテレビを消しません。 父親は聖書を開き、マタイによる福音書4章、荒野での試みの場面を息子に見せます。悪魔が口を開くたびに、イエスは同じ言葉で答えられます。「……と書いてある」。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごら...
イスラエルは二度、水の中を、かわいた地の上に渡りました。 一度目は紅海。二度目はそれから四十年後、ヨルダン川。同じ神、同じ民、同じ奇跡です。水は立ち上がり、民は干上がった川底を歩いて渡りました。 ただ一点だけ、違いがあります。そして、それは小さな違いではありません。 紅海には、箱がありませんでした。ヨルダンでは、契約の箱が先に水の中へ入って行ったのです。 「見よ、全地の主の契約の箱が、あなたがたに...
今、信じる者と世との間でいちばん際立って見える違いのひとつは、老いをめぐる見方です。からだは弱り、記憶はかすみ、それはもうどうにもならない——世はそう言います。 けれども、この思い込みをくっきりと照らし出す三人の姿を、ご一緒に見ていきたいのです。 まずヨシュア。イスラエルを約束の地へ導き入れた指導者です。その生涯の終わりに近いころ、神はこう言われました。 「あなたは年が進んで老人となったが、取るべ...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
聖書には、誠実な読み方が二つあります。ところが多くの人は、そのうちの片方しか持ち合わせていません。 ひとつは、近くを見る読み方です。一つの節を選び、そこにとどまります。朝に読み、昼にもう一度それを転がしてみる。何年も素通りしていた一語に、ふと目が留まる。 「このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。」 詩篇 1:2 (口語訳) これが顕微鏡の読み方です。距離を稼ぐのではありませ...
エレミヤは重圧の中を生きた人でした。国は崩れていき、友は背を向けました。その只中で彼は、自分を立たせ続けた唯一のものを語っています。 「あなたのみ言葉が見いだされたとき、わたしはそれを食べました。あなたのみ言葉は、わたしにとって心の喜び、心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、わたしはあなたの名をもって呼ばれている者です。」 エレミヤ書 15:16 (NKJV より私訳) エレミヤは「あなたのみ言...
旧約聖書を避けている、という方は少なくありません。裁きが語られ、のろいが並び、厳しい要求が続く。読みながら胸が重くなり、自分の失敗のゆえに神に罰せられるのではないかと、心配になってしまうのです。 けれども旧い契約は、主イエスの完成した御業というレンズを通して読まなければなりません。 「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。『木にかけられる...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
新しい季節は、しばしば嵐とともに始まります。世界を見渡せば、騒がしさばかりが目につきます。自分の状況に目をやれば、風の冷たさが肌に触れます。舟は荒れた海のただ中にあるように思え、不安が心を占めようとします。 けれども、嵐はあなたの行き先ではありません。 神がイスラエルをエジプトから救い出されたのは、彼らを荒野に置き去りにするためではありませんでした。ある特定の場所へ導き入れるために、救い出されたの...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
信じていない人でも、幻を見ることはあります。けれども、それを解き明かすのは、神から出た知恵だけです。 パロは夢を見ました。ネブカデネザルも夢を見ました。バラムは幻を見ました。 けれども、そのだれひとり、自分の見たものの意味を悟ってはいませんでした。 聖書は、そのことを繰り返し示しています。 「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである」 申命記 29:29 (口語訳) 見ることと、悟ることは、同...
旧約の時代、神は王座に着く者に、一風変わった命令をお与えになりました。まず軍を増やせとも、宮殿を高く築けとも言われません。筆を執りなさい、と言われたのです。 「彼がその国の王座に座するようになったならば、彼はこの律法の写しを、自分のために一つの書物に書きしるさなければならない。……それを身近く置き、生きながらえる日の間、常にそれを読まなければならない。」 申命記 17:18-19 (NKJV より...
肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...
ヘブライ語聖書には、日本語のどの一語にも収まりきらない言葉があります。「あわれみ」「いつくしみ」「変わらない愛」「誠実」「真実」。訳者たちはさまざまに訳し分けてきました。どの訳語も、その一面はとらえています。けれども、すべてをとらえた訳語はひとつもありません。 その言葉が (ヘセド) חֶסֶד — 「契約に根ざした、絶えることのない愛」です。 旧約聖書に二百五十一回現れます。詩篇を満たし、ルツの...
私たちは旧約聖書を読むとき、これは昔の農耕の知恵だと、つい脇に置いてしまいます。 たとえば申命記 25:4。「脱穀をする牛に、くつこを掛けてはならない」申命記 25:4 (口語訳)。「くつこ」とは、家畜が餌を食べないように口に掛ける籠のことです。 いかにも、家畜をいたわりなさいという規則に聞こえます。事実、そのとおりです。けれども使徒パウロは、神がここで教会の報酬についての原則を立てておられるのだ...
ヨセフの兄弟たちの物語には、一つの霊的な原則が閉じ込められています。 ききんの時、兄弟たちがエジプトに下って来たとき、ヨセフは彼らを回し者だと責めました。意地悪をしたのではありません。彼は心の変化を探していたのです。彼らがなお父の愛を軽んじているのかどうか、それを知る必要がありました。 彼らを試すために、ヨセフはひとりの兄弟を縛り、獄に入れました。その兄弟の名は (シムオン) שִׁמְעוֹן...
イスラエルは、カデシ・バルネアでの不信仰ののち、荒野を三十八年さまよいました。 「…戦う民の世代がことごとく絶え果てるまで…」申命記 2:14 (NKJV より私訳) 「戦う民」— (anshei hammilchamah) אַנְשֵׁי הַמִּלְחָמָה —「戦いの人々」とは、人の努力を表しています。祝福は、強さによって、鍛錬によって、成果によって手に入るのだという思いです。 そして...