嵐を越えて、流れる地へ

新しい季節は、しばしば嵐とともに始まります。世界を見渡せば、騒がしさばかりが目につきます。自分の状況に目をやれば、風の冷たさが肌に触れます。舟は荒れた海のただ中にあるように思え、不安が心を占めようとします。
けれども、嵐はあなたの行き先ではありません。
神がイスラエルをエジプトから救い出されたのは、彼らを荒野に置き去りにするためではありませんでした。ある特定の場所へ導き入れるために、救い出されたのです。
ここで「流れる」と訳されている言葉は、豊かさを描く言葉です。(ザヴァト) זָבַת — 「流れ出る、あふれ出る」。必要を満たすだけでは終わらない、必要を越えて注がれるという意味です。口語訳はこれを「乳と蜜の流れる」と訳し、そのあふれる様子をそのまま伝えています。神はただ資源のある土地へあなたを連れて行かれるのではありません。資源があふれ出る土地へと、連れて行かれるのです。
一年の出発が苦しかったとしても、仕事の始まりがつまずきだったとしても、家族の歩みが重い一歩だったとしても、旅の終わりを思い出してください。神はご自分の民を海のただ中に置き去りにはなさいません。波を通り抜けさせ、あふれる地へと導き入れてくださいます。
嵐は通り道にすぎません。行き着く先は、いつも満ちあふれる地です。
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