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自信のない自分に、聖書は何と言うか
ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
検索語: “啓示”
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ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
ある人が、御使が自分に現れたと語ります。終りの日にあって死に打ち勝つ鍵を、その御使から授かったのだと言います。 その言葉を信じるべきでしょうか。 いいえ。 御使が実在しないからではありません。御使は確かにいます。けれども神は、ご自身の言葉を飛び越えてお働きになる方ではありません。パウロは二千年前に、この問いに決着をつけています。 「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたし...
テサロニケ人への第一の手紙 4 章で、パウロは同じことを二度言います。わずか三節のうちに、同じ言葉が繰り返されるのです。「生きながらえて残る」。聖書における繰り返しは、書き手の不注意ではありません。強調です。神が一つの箇所で二度言われるとき、それは立ち止まって、よく見なさいという合図です。パウロはこう書いています。 「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたち...
パウロは、はっとさせられることを書いています。ただ一つの理由が——たった一つが——多くの信者が弱り、病み、ついには眠りについた訳を説き明かしています。 「あなたがたの中に弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」コリント人への第一の手紙 11:30 (口語訳) ギリシア語は、その点をはっきりと示しています。(ディア トゥート) διὰ τοῦτο — 「このゆえに」。...
使徒パウロは、エペソの信徒たちのために深い祈りをささげました。知恵と啓示との霊を受けるようにと願ったのです。そして、その霊的な知恵がどのように働くのかを、はっきりと言い表しました。それは、心の目が明るくされるときに起こる、と。 原文のギリシア語で「心」にあたる語は (ディアノイア) διάνοια — 「理解力、思い、想像」です。「明るくされる」にあたる語は (フォーティゾー) φωτίζω —...
律法主義の説教は、圧力と脅しを頼りにします。要求すれば従うようになる、という前提です。けれども人の性は、その反対を証ししています。外から押しつけられた規則は、服従よりもむしろ反発を呼び起こすのです。 心の本当の変化は、値なしに与えられる神の恵みが示されるときに起こります。 「それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことを知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。」 ローマ人への手紙 2...
聖書を開き、山のような知識を積み上げながら、その著者にはついに出会わない——そういうことが起こり得ます。神学校を優秀な成績で卒業し、頭は満ち足りているのに、心は空っぽのまま、ということも。 聖書は「知識は人を誇らせ」ると告げます(コリント人への第一の手紙 8:1 口語訳より)。誇らせるのが知識なら、人を建て上げるのは啓示です。その違いは頭の良し悪しにあるのではありません。心の姿勢にあるのです。 「...
エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。 エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。 「エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」 創世記 5:21-22 (口語...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
多くの人は、旧約聖書を重たい律法が並ぶ歴史の書として読みます。けれども、その読み方からは混乱と恐れしか生まれません。 正しく読み取るためには、旧約聖書をイエスの啓示として読み解く必要があります。聖霊に教えていただき、本文のただ中にキリストを現していただくほかありません。 意味を決めるのは歴史的な文脈です。英訳聖書の初期の翻訳者であった Miles Coverdale は、読者にこう勧めました。だれ...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
福音を語るとき、まず人間の罪や欠けから話し始める人は少なくありません。けれどもパウロは、まったく別のところから語り出しました。 「神の義が、その福音の中に啓示され」ローマ人への手紙 1:17 (口語訳) 福音が照らし出すのは、あなたの失敗ではありません。神の備えです。あなたの罪は、なぜ救いが必要なのかを教えます。けれども神の義は、その救いがどうして成り立つのかを教えるのです。 一方は、問題を明らか...
信じていない人でも、幻を見ることはあります。けれども、それを解き明かすのは、神から出た知恵だけです。 パロは夢を見ました。ネブカデネザルも夢を見ました。バラムは幻を見ました。 けれども、そのだれひとり、自分の見たものの意味を悟ってはいませんでした。 聖書は、そのことを繰り返し示しています。 「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである」 申命記 29:29 (口語訳) 見ることと、悟ることは、同...
なぜ、わたしたちは罪を犯すのでしょうか。自分でも嫌でたまらない習慣や振る舞いに、どうして囚われてしまうのでしょうか。 たいていは、意志が弱いからだと考えます。善くあろうとする努力が足りないのだ、と。けれどもペテロは、根っこにあるのはまったく別のものだと告げます。信頼の欠けです。 「また、それらのものによって、尊くまた大いなる約束が、わたしたちに与えられているのである。それは、あなたがたが、世にある...
安息日は、何もしないための日ではありませんでした。それは、歩調を合わせるための日でした——あなたが手を止め、神が働かれるために。 だからこそ、イエスは安息日にこそ、繰り返し人を癒されたのです。反抗ではありません。啓示でした。 「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」ヨハネによる福音書 5:17 (口語訳) 人が休むとき、天が動きます。 けれども宗教の指導者たちは、癒しを人の...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...
法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...
すべての突破口が、一瞬にして開かれるわけではありません。多くの場合、それは幾重にも重なって訪れます。一つの言葉、また一つの言葉と、少しずつ。 だからこそ神は、わたしたちを集まりへと招かれます。規則としてではなく、招待として。 「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで、互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」ヘブル人への手紙 10:25 (口語...
箴言三十章を書いたアグルは、知恵ある人でした。それでも彼は、自分には到底悟りきれない four つのことがある、と正直に打ち明けています。いえ、四つのこと、と言い直しましょう。 「わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない。すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上をはうへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道である。」 箴言 30:18-19 (口語...