エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。

エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。

「エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」 創世記 5:21-22 (口語訳)

メトセラという名には、預言的な警告がこめられていました。(メトゥシェラハ) מְתוּשֶׁלַח — 「彼が死ぬとき、それが来る」。その「それ」とは洪水のことであり、腐敗しきった世界に下される神のさばきのことでした。

エノクの家族の日常を思い描いてみてください。その子が風邪をひくたび、家族はじっと様子を見守ったことでしょう。膝をすりむくたび、その命を気づかったことでしょう。この子の死が、さばきの大水を解き放つのだと、彼らは知っていたのです。

この預言は、エノクを変えました。彼を、神と親しく歩む者としたのです。エノクは、自分の生きている時代の重さを、はっきりと悟っていました。

ところが、そのメトセラがどれほど長く生きたかを見てください。九百六十九年です。人類の歴史の中で、だれよりも長く生きた人となりました。

この事実が、神のご性質を映し出しています。神は罪に対して、義を行わなければなりませんでした。もし悪を罰することがなければ、世界はおのれの手で滅びてしまうからです。しかし神は、さばきを急がれませんでした。メトセラの命を、だれよりも長く保つことによって、その時を延ばしてくださったのです。

「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」 ペテロの第二の手紙 3:9 (口語訳)

千年に近い歳月、神は待っておられました。メトセラが生きた一年一年が、そのまま恵みの一年でした。それは、人が神のもとへ立ち帰るようにという招きの時だったのです。

神は、さばきを喜ばれる方ではありません。そのみ心は、愛です。人がその慈しみに応える時間を持てるように、あわれみの日々を引き延ばしてくださるのです。

今日、あなたは神の御手が動くのが遅いと感じているかもしれません。けれども、その遅れは放置ではありません。それは、神の忍耐です。

神がさばきを遅らせられるのは、あわれみをさらに差し伸べたいと願っておられるからです。