なぜ彼は、だれよりも長く生きたのか

エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。
エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。
メトセラという名には、預言的な警告がこめられていました。(メトゥシェラハ) מְתוּשֶׁלַח — 「彼が死ぬとき、それが来る」。その「それ」とは洪水のことであり、腐敗しきった世界に下される神のさばきのことでした。
エノクの家族の日常を思い描いてみてください。その子が風邪をひくたび、家族はじっと様子を見守ったことでしょう。膝をすりむくたび、その命を気づかったことでしょう。この子の死が、さばきの大水を解き放つのだと、彼らは知っていたのです。
この預言は、エノクを変えました。彼を、神と親しく歩む者としたのです。エノクは、自分の生きている時代の重さを、はっきりと悟っていました。
ところが、そのメトセラがどれほど長く生きたかを見てください。九百六十九年です。人類の歴史の中で、だれよりも長く生きた人となりました。
この事実が、神のご性質を映し出しています。神は罪に対して、義を行わなければなりませんでした。もし悪を罰することがなければ、世界はおのれの手で滅びてしまうからです。しかし神は、さばきを急がれませんでした。メトセラの命を、だれよりも長く保つことによって、その時を延ばしてくださったのです。
千年に近い歳月、神は待っておられました。メトセラが生きた一年一年が、そのまま恵みの一年でした。それは、人が神のもとへ立ち帰るようにという招きの時だったのです。
神は、さばきを喜ばれる方ではありません。そのみ心は、愛です。人がその慈しみに応える時間を持てるように、あわれみの日々を引き延ばしてくださるのです。
今日、あなたは神の御手が動くのが遅いと感じているかもしれません。けれども、その遅れは放置ではありません。それは、神の忍耐です。
神がさばきを遅らせられるのは、あわれみをさらに差し伸べたいと願っておられるからです。
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