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検索語: “変えられること”

20件の記事が見つかりました

変える力は恵みから

まことのきよさは、努力ではなく、福音を信じるところから流れ出ます。 福音を抜きにしてきよくあろうとするのは、空気のないところで息をしようとするようなものです。本来そうであるはずのなかった苦しい格闘に、変わってしまいます。 パウロは、その源がどこにあるかを、まぎれもない言葉で示します。 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだ...

意志の力なしに変わる

世にある自己改善の多くは、意志の力を求めます。規則を決めなさい、習慣を記録しなさい、そして自分で自分を変えなさい、と。けれども新しい契約は、まったく別の道を差し出します。 パウロは、クリスチャンが変えられていく道筋をこう描きます。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への...

闘いが終わるとき

解放とは、意志の力をふりしぼる激しい戦いだ——わたしたちはつい、そう思い込みます。習慣を断ち切ろうと歯を食いしばり、もう一日だけ耐えられますようにと願う。けれども肉は頑固なものです。押さえつければ押さえつけるほど、いっそう強く押し返してくるように感じられます。 「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」 ガラテヤ人への手紙 5:16 (口語訳) もっと高...

見つめる者が、変えられる

わたしたちの多くは、力ずくで自分を変えようとします。けれども主イエスは、まなざしによって、わたしたちを変えてくださいます。 パウロはこう言います。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への第二の手紙 3:18 (口語訳) 変化は、努力から生まれるのではありません。触れつづ...

恵みは、栄光へと続く

恵みが先に来ます。栄光はそのあとに従います。神が語られる物語は、いつもこの順序です。 放蕩息子が家に持ち帰れたものは、飢えだけでした。けれども、用意してきた詫びの言葉を言い終える前に、父は最上の着物で彼を覆い、指に指輪をはめ、足にくつをはかせたのです。 「最上の着物を出してきてこの子に着せ」ルカによる福音書 15:22 (口語訳) これが恵みです。 パウロも、同じことを語っています。 「義とした者...

見つめるものに、人は似ていく

私たちが変えられるのは、自分の欠点を見つめることによってではなく、主を見つめることによってです。 パウロはこう書いています。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」コリント人への第二の手紙 3:18 (口語訳) 自分で自分を彫り上げるのではありません。その御前に立つとき、そのお方の臨在が私たちを造り変えてくださるのです。...

実は、力みではなく、つながりから

私たちはよく、行いを整えることで自分を変えようとします。もっと厳しい習慣、もっと強い意志、もっと固い自制。 けれども主イエスは、もっと素朴な絵を示されます。 「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」ヨハネによる福音書 15:5 (口語訳) 豊かに実を結ぶ枝は、歯を食いしばった結果ではありません。ぶどうの木につながったまま、そこにいた...

罪の本当の理由

なぜ、わたしたちは罪を犯すのでしょうか。自分でも嫌でたまらない習慣や振る舞いに、どうして囚われてしまうのでしょうか。 たいていは、意志が弱いからだと考えます。善くあろうとする努力が足りないのだ、と。けれどもペテロは、根っこにあるのはまったく別のものだと告げます。信頼の欠けです。 「また、それらのものによって、尊くまた大いなる約束が、わたしたちに与えられているのである。それは、あなたがたが、世にある...

見つめるものに、人は似る

世は、血なまぐさいものを絶え間なく流し続けます。ニュースにも、スキャンダルにも、画面を埋めるドラマにも、それはあふれています。ソーシャルメディアは、他の人の人生だけが完璧に見える場所をつくり出し、私たちを比較と落ち込みの中に置き去りにします。 心を否定的なもので満たすとき、人はやがてそれを映し出すようになります。見つめるものに、人は似ていくのです。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡...

恵みは、人をより聖くする

恵みを語りすぎると、信じる者は気がゆるんでしまう——そう思っていませんか。聖書は、その問いに答えています。 パウロはこう書いています。 「なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。」ローマ人への手紙 6:14 (口語訳) 律法が生むのは、恐れです。恵みが生むのは、変化です。 律法は言います。「行え、さもなければ罰を受ける」と。恵みは言い...

教会にいても、救われているとは限りません

出席は信仰のように見えます。けれども、本当のところを明かすのは心だけです。 イエスは言われました。 「このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」マタイによる福音書 7:20 (口語訳) パウロもこう言い添えます。 「もし、キリストの霊を持たない者があれば、その人はキリストのものではない」ローマ人への手紙 8:9 (口語訳) クリスチャンの言葉を知り、クリスチャンの歌を歌い、クリ...

きよさは、正しく信じることから

福音は心をきよめます。 人は、外側から内側へと自分を変えようとします。けれども神は、内側から外側へと私たちを変えてくださいます。 習慣を洗い直し、ふるまいを整え、衝動を抑えることはできます。けれども、きよさが始まるのは、福音だけが届く場所――心です。 聖書は、実に簡潔です。 「信仰によって彼らの心をきよめ」使徒行伝 15:9 (NKJV より私訳) 福音は、ただ赦すだけではありません。きよめます。...

神があなたを見るまなざし

わたしたちは、まず自分の欠けたところに目がいきます。けれども神は、違うものをご覧になります。 キリストがご自分の民をどう見ておられるか。聖書がそれを語るとき、その言葉は、にわかには信じがたいほどです。 「わが愛する者よ、あなたはことごとく美しく、少しのきずもない。」 雅歌 4:7 (口語訳) 神は、わたしたちの弱さを見ないふりをなさるのではありません。キリストが成し遂げてくださったみわざを通して、...

見つめる者が、変えられる

自分をよくしようとする努力は、くたびれます。私たちは、自分の力で自分を引き上げようとします。意志の力、規律、そして恥の感覚を使って、もっとましな人間になれと自分を追い立てます。怒りを減らそう、忍耐を増やそう、恐れをなくそう、と。けれども聖書は、変化について、まったく別の仕組みを差し出します。「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて...

規則では育たない実

福音は人を変えます。道徳だけを見つめていると、心に苦さが芽生えます。 恵みのない道徳は、重荷になります。愛のない重荷は、恨みに変わります。 だからこそ福音は、規則からも自己改善からも始まりません。始まりは、ひとりの方との出会いです。 主イエスは、パリサイ人たちに驚くべきことを言われました。 「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものであ...

与える心は反射です

求められることと、応えること。この二つのあいだには、深い隔たりがあります。 ルカによる福音書18章に、ひとりの金持ちの役人が登場します。品行方正で、非の打ちどころがなく、それでいて心は落ち着きません。彼は尋ねます。「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と。 イエスは彼に律法をお示しになります。戒めを指し示されます。青年は、それらをみな守ってきたと言い切ります。そこでイエスは、彼が神よりも愛し...

ゴールから生きる

神が七日目に休まれたのは、疲れ果てておられたからではありません。何ひとつ、やり残しがなかったからです。 創世記はこう記します。 > > 「神は第七日にその作業を終えられた。……そのすべての作業を終って第七日に休まれた」 > 創世記 2:2-3 (口語訳) > そしてヘブル人への手紙には、こうあります。 > > 「みわざは、世の基が置かれた時から、すでに成し終えられていた」 > ヘブル人への手紙 4...

「信者ですか」より先に、聞くべきこと

「クリスチャンとだけ付き合いなさい」——よく耳にする言葉です。 そのとおり、信仰を分かち合えることは大切です。 けれども、この話はしばしば単純にされすぎています。 少し視野を広げてみましょう。ラハブを見てみましょう。 イスラエルの男性に出会うより前に…… 契約の民に嫁ぐより前に…… その名がヘブル人への手紙十一章に記されるより前に…… ラハブの心は、すでにイスラエルの神へと向いていました。 彼女は...

あなたの欠けに、神はうろたえない

いちばん信じにくいことの一つは、自分にはまだ欠けが見えているのに、神はあなたをきよい者として見ておられる、ということです。 主イエスは弟子たちにこう言われました。 「あなたがたは、わたしが語った言葉によって、すでにきよくされている」 ヨハネによる福音書 15:3 (口語訳) これから きよくなる、のではありません。すでに きよい、のです。 ここで使われているのは (カタロス) καθαρός —...

神は求める方ではなく、満たす方

神と歩むなかで、多くの人がひそかに間違った思い込みを抱えてきました。心の奥に貼りついた、目には見えないチェックリスト。「まだ足りない。もっと頑張りなさい。もっと良くなりなさい」。 それは聖なる声のように響きます。けれども、人を疲れ果てさせます。 そして実は、律法はまさにそのために与えられました。あなたを直すためではなく、自分で自分を直せないと気づかせるために。 「律法はモーセをとおして与えられ、め...