見つめるものに、人は似る

世は、血なまぐさいものを絶え間なく流し続けます。ニュースにも、スキャンダルにも、画面を埋めるドラマにも、それはあふれています。ソーシャルメディアは、他の人の人生だけが完璧に見える場所をつくり出し、私たちを比較と落ち込みの中に置き去りにします。
心を否定的なもので満たすとき、人はやがてそれを映し出すようになります。見つめるものに、人は似ていくのです。
私たちが変えられるのは、敵を研究することによってでも、目の前の障害をにらみ続けることによってでもありません。御言葉の中に示された主の栄光を見つめることによってです。ここで「鏡に映すように見つつ」と訳されている言葉は (katoptrizomai) κατοπτρίζομαι —「鏡に映して見る、映し出す」。鏡は、向けられたものをそのまま返します。そして「栄光」は (doxa) δόξα —「栄光、輝き」。噂話や、他の人の人生の染みばかりを眺めて時間を注げば、削られていくのは自分自身の平安です。あなたの人生は、デジタルの筋書きに仕える奴隷になるには、あまりにも大切です。
時は静かに過ぎていきます。栄光によって変えられる道があるのに、血なまぐさいものを眺めて日々を使い果たすことはありません。
毎朝どの鏡をのぞき込むかは、あなたが選ぶのです。
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