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検索語: “ソーシャルメディア”

5件の記事が見つかりました

変わる時代、変わらぬ岩

世界は目まぐるしく変わります。技術も、伝える手段も、文化も、世代ごとに姿を変えていきます。残念なことに、教会はその変化に恐れをもって応じてしまうことが少なくありません。新しい道具にはすぐ「危ないもの」という札を貼り、慣れ親しんだ伝統の中へ引きこもる。けれどもその後退は、教会を世から切り離し、福音を伝える力をみずから狭めてしまいます。私たちは、メッセージを損なわずに方法を変える道を学ばなければなりま...

目と耳の門を守る

朝6時40分、ひとりの女性が目を覚まし、足が床に触れるより先にスマートフォンへ手を伸ばします。朝食の頃には、四十件の投稿と、新しいウイルスについての見出しを二つ、そして見知らぬ誰かの政治をめぐる言い争いまで読み終えています。聖書はまだ開いていません。昼になる頃、心はずっしりと重くなっています。けれども、その理由は自分でもわかりません。 彼女の身に何かが起きたわけではありません。ただ、言葉を取り込ん...

世界は狭くなったのに

SNSは世界をひとつにつなぎ、距離を縮めると約束しました。けれども実際に積み上がっているのは、重いうつが増え続けているという記録です。 パウロはテモテに、終わりの日には自分を愛する者、大言壮語する者、高慢な者が現れると警告しました。終わりのない流れを指でたどるとき、私たちが見ているのは、まさにその人間の誇りと「当然だ」という思いを、濃く煮詰めて並べた陳列にほかなりません。 「しかし、このことを知っ...

見つめるものに、人は似る

世は、血なまぐさいものを絶え間なく流し続けます。ニュースにも、スキャンダルにも、画面を埋めるドラマにも、それはあふれています。ソーシャルメディアは、他の人の人生だけが完璧に見える場所をつくり出し、私たちを比較と落ち込みの中に置き去りにします。 心を否定的なもので満たすとき、人はやがてそれを映し出すようになります。見つめるものに、人は似ていくのです。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡...

隣の芝生という罠

わたしたちには、垣根の向こうをのぞく癖があります。あの人の結婚、あの人の仕事、あの人の暮らし。どれも苦もなく青々と育っているように見えるのです。昔から「隣の芝生は青い」と言いますが、ソーシャルメディアの時代には、その青さにまで加工がほどこされ、いっそう鮮やかに映ります。 けれども、距離というものは、化けるのが上手です。遠くからは色が見え、近づいてはじめて状態が見えます。 思いきって垣根を越え、「向...