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三つの門、ひとつの薬
古代の町は、門で生き、門で滅びました。番兵は門に立ち、商人は門から入り、敵は門をねらいました。門を通り抜けたものが、そのまま町の通りを支配したのです。 ソロモンは門というものをよく知っていました。そして箴言4章で、人の体にも門があるのだと、自分の子に語ります。 「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。これをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者...
検索語: “聞くこと”
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古代の町は、門で生き、門で滅びました。番兵は門に立ち、商人は門から入り、敵は門をねらいました。門を通り抜けたものが、そのまま町の通りを支配したのです。 ソロモンは門というものをよく知っていました。そして箴言4章で、人の体にも門があるのだと、自分の子に語ります。 「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。これをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者...
主イエスを愛することと、主イエスを分かっていることとは、別のことです。 マグダラのマリヤは、深く主を愛していました。多くをゆるされた人でした。けれども復活の朝、彼女は香料を携えて墓へ来ました。亡骸に油を塗るための備えをして来たのです。心は献身で満ちていましたが、頭の中は死で占められていました。王を捜すべき朝に、彼女は遺体を捜していたのです。 ここでベタニヤのマリヤを思い起こしてみましょう。 主の足...
幼な子イエスが宮に連れてこられたその瞬間、美しい「衛兵の交代」が起こりました。 そこにシメオンという老人がいました。彼は生涯をかけて、イスラエルの慰められる日を待ち続けていた人です。その名 (Shim'on) שִׁמְעוֹן — 「聞くこと」が示すとおり、シメオンはしばしば律法を映す姿として読まれてきました。正しく、敬虔で、そして、待っている姿です。 シメオンはイエスを見ると、その腕に抱いてこ...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
悔改めとは、言葉づかいの問題ではありません。心が動くことです。 ペテロが罪のゆるしを語ったとき、「さあ、悔い改めなさい」とは言いませんでした。それでも聖書は、こう記しています。 「神は異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」使徒行伝 11:18 (口語訳) どのようにして、でしょうか。福音を聞くことによって、です。 悔改め、すなわち (メタノイア) μετάνοια — 「心の向きが変わる...