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三つの門、ひとつの薬
古代の町は、門で生き、門で滅びました。番兵は門に立ち、商人は門から入り、敵は門をねらいました。門を通り抜けたものが、そのまま町の通りを支配したのです。 ソロモンは門というものをよく知っていました。そして箴言4章で、人の体にも門があるのだと、自分の子に語ります。 「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。これをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者...
検索語: “いやし”
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古代の町は、門で生き、門で滅びました。番兵は門に立ち、商人は門から入り、敵は門をねらいました。門を通り抜けたものが、そのまま町の通りを支配したのです。 ソロモンは門というものをよく知っていました。そして箴言4章で、人の体にも門があるのだと、自分の子に語ります。 「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。これをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
病に倒れたとき、多くの人はまず自分を問いつめます。「わたしは何か間違ったのだろうか」「どうしてもっと気をつけなかったのか」「神はわたしに失望しておられるのではないか」 けれども主イエスは、病をまったく別の言い方で語られました。 水腫をわずらっている人をいやされたとき、主はこう問われました。「あなたがたのうちで、自分の息子または牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない...
血には、声があります。 人類最初の殺人で、カインは弟アベルを殺しました。それは宗教が起こした殺人でした。自分の手の働き、自分の畑の実りをもって神に近づこうとした兄が、小羊の血をもって神に近づいた弟を手にかけたのです。 その後、神はこう言われました。「あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます」 創世記 4:10 (口語訳)。アベルの血は、復讐を求めて叫びました。罪を犯した者への裁きを求めて...
わたしたちは、筋の通ったものを好みます。神秘よりも論理のほうが、どこか安心できるのです。 ですから、病む人に油を塗るとか、家に油を注ぐといった話を読むと、理性が立ち止まります。古めかしく思えます。理屈に合わないと感じます。「油に何ができるというのか」と。 働くのは、油ではありません。従順です。 旧約に出てくる、らい病のナアマンを思い起こしてください。預言者は彼に、ヨルダン川に七たび身を浸せば清くな...
イエスに手を伸ばした人は、みないやされました。 イスラエルのすべての人ではありません——来た人だけです。ふさわしい人だけでもありません——ふさわしい人など、ひとりもいませんでした。みなが分かっていたわけでもありません——けれども、触れた人はみな受け取りました。 「そしてさわった者は皆いやされた。」マルコによる福音書 6:56 (口語訳) 面接はありません。資格もいりません。条件もつきません。 ある...
イザヤ書53章は「霊的な」いやしだけを語っているのではないか。そう思いめぐらす信仰者がいます。あるいは、限られた種類の病だけを指しているのではないか、と考える人もいます。 イザヤはこう記しました。 「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」イザヤ書 53:4 (口語訳) ここで用いられているヘブライ語に、目を留めてみたいのです。 (ホリー) חֳלִי — 「病、疾患」……...
群衆に気を取られていると、救い主を見落としてしまいます。 エリコの通りは騒然としていました。人の声、足音、物売りのざわめきが入り混じり、だれもが押し合いへし合いしながら、あの名高い教師をひと目見ようとしていたのです。 けれども、有名人を眺めることと、命綱を仰ぐことは、まるで別のことです。 ザアカイは背が低く、人々の肩越しに見ることができませんでした。しかし、その切実さが、彼に別の種類のまなざしを与...
教えによっては、信じる者を闇に敏感な人にしてしまいます。敵のことで頭がいっぱいになり、終わりの日を思って落ち着かず、悪魔が何をしているかばかり気にかけるのです。 荒野でイスラエルがへびにかまれたとき、神は「かまれた傷をよく調べなさい」とは言われませんでした。高く掲げられた青銅のへびを仰ぎ見なさい、と言われたのです。 「すべてへびにかまれた者は、その青銅のへびを仰いで見て生きた。」 民数記 21:9...
火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...
預言者エゼキエルは、宮の敷居の下から水が流れ出る幻を見ました。その水はやがて川となり、何ものも生きることのできない死海へと下って行きます。ところが、その川の行く所では水がいやされ、いのちが群れをなして満ちはじめたのです。 「川の流れて行く所では、すべて動く生き物は生きる」 エゼキエル書 47:9 (NKJV より私訳) 主イエスは、この川が何であるかを明かされました。わたしを信じる者の腹から、生け...
重い皮膚病を患う十人の人が、遠くに立ったまま、あわれみを求めて叫びました。イエスがお答えになったのは、そのときにはまだ意味の通らない一つの言葉でした。 「行って、祭司たちにからだを見せなさい」ルカによる福音書 17:14 (NKJV より私訳) けれども、祭司のもとへ行くのは、すでにきよめられた者がすることでした。彼らは、まだそうではありませんでした。 病はそのまま。隔ての壁もそのまま。身に負った...
多くの人は、霊の救いと体のいやしについては熱心に語ります。けれども思いについては、衰えていくのが当たり前だと受け入れてしまいます。まるで、そこだけは神が手をつけずに残されたかのように。 けれども聖書は、まさにその領域について、はっきりと語っています。 「しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。」コリント人への第一の手紙 2:16 (口語訳) ここで「思い」と訳されている語は (ヌース) ν...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...
神が関心をお持ちなのは、わたしたちの霊的な手入れだけ——祈りの生活、礼拝への出席、道徳的な立ち位置だけ。そんな誤解があります。わたしたちはいつのまにか、「信心」と日々の暮らしとを別々の棚に置いてしまうのです。 けれども神は、あなたの人生を「霊的なこと」と「世俗のこと」に仕分けたりなさいません。神が目を向けておられるのは、あなたという人間まるごとです。 「…神の力は、ご自身の栄光と徳とによってわたし...
アダムが堕ちたとき、この世界にあるものが入り込みました。罪に対する、神の宣告です。それは体にも、心にも、被造物そのものにも及ぶ、こわれた有り様でした。 パウロはこう書いています。 「わたしたちがさばかれるのは、この世と共に罪に定められないために、主によって懲らしめられているのである」コリント人への第一の手紙 11:32 (NKJV より私訳) この世はすでに、罪に定められた下にあります。一人ひとり...
裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...
死んだあと、人はどうなるのか。多くの人がそれを思い巡らしてきました。けれども主イエスは、死んだ後の永遠を確保するためだけに来られたのではありません。今、命をもたらすために来てくださいました。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」ヨハネによる福音書 3:16 (口語訳) 永遠の命は、あなたが息を引き取る日に始...
「救い」と聞くと、多くの人は死んだ後に行く天国を思い浮かべます。けれども、救いはそれよりもはるかに大きなものです。 ギリシア語の (ソーテーリア) σωτηρία は、救出、全きこと、いやし、保全、解放を意味します。主イエスは、あなたの一部分を改善するために来られたのではありません。あなたのすべてを贖うために来てくださったのです。 長血をわずらう女が主イエスにさわったとき、主はこう言われました。...