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なぜ彼は、だれよりも長く生きたのか
エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。 エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。 「エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」 創世記 5:21-22 (口語...
検索語: “信心”
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エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。 エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。 「エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」 創世記 5:21-22 (口語...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...
神が関心をお持ちなのは、わたしたちの霊的な手入れだけ——祈りの生活、礼拝への出席、道徳的な立ち位置だけ。そんな誤解があります。わたしたちはいつのまにか、「信心」と日々の暮らしとを別々の棚に置いてしまうのです。 けれども神は、あなたの人生を「霊的なこと」と「世俗のこと」に仕分けたりなさいません。神が目を向けておられるのは、あなたという人間まるごとです。 「…神の力は、ご自身の栄光と徳とによってわたし...
恵みを語りすぎると、信じる者は気がゆるんでしまう——そう思っていませんか。聖書は、その問いに答えています。 パウロはこう書いています。 「なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。」ローマ人への手紙 6:14 (口語訳) 律法が生むのは、恐れです。恵みが生むのは、変化です。 律法は言います。「行え、さもなければ罰を受ける」と。恵みは言い...
人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...
新約聖書は、二種類の教えをはっきりと分けています。 一方は自由をもたらします。もう一方は重荷を負わせます。 パウロは幾度もこの問題に向き合いました。福音に規則や儀式、人の努力を混ぜ込みはじめた人たちがいたのです。耳には信心深く響きました。けれども、そこにいのちはありませんでした。 パウロはこう書いています。 「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って...
握りしめた拳は、何も受け取ることができません。律法と恵みの違いは、ちょうどそこにあります。 福音の中心にあるのは、神のみわざなのか、それとも私たちの努力なのか。何世紀ものあいだ、人はこの問いをめぐって論じ合ってきました。けれどもこの答えは、机上の議論では終わりません。神の御前に立つときの、私たちの姿勢そのものを決めてしまうのです。 律法は、恵みは勝ち取れるものだとささやきます。もっと励めば、もっと...