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影はあなたを傷つけない
影には実体がありません。犬の影に噛まれることはなく、剣の影に切られることもありません。見た目はいかにも恐ろしくても、傷つける力は持っていないのです。 多くの信者が、暗い谷のような試練の中を歩きます。体の病、家庭の問題、仕事の重圧。そんなとき、敵はあなたに「もう逃げ場はない」と思わせたがります。けれども詩篇の作者ダビデは、私たちの見方を変える一つの約束を書き残しました。 「たといわたしは死の陰の谷を...
検索語: “家庭”
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影には実体がありません。犬の影に噛まれることはなく、剣の影に切られることもありません。見た目はいかにも恐ろしくても、傷つける力は持っていないのです。 多くの信者が、暗い谷のような試練の中を歩きます。体の病、家庭の問題、仕事の重圧。そんなとき、敵はあなたに「もう逃げ場はない」と思わせたがります。けれども詩篇の作者ダビデは、私たちの見方を変える一つの約束を書き残しました。 「たといわたしは死の陰の谷を...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
ひとりの病人をいやされる前に、イエスはヨルダン川に立っておられました。水をぶどう酒に変えてもいません。パンを増やして飢えた人々を満たしてもいません。群衆に向かって語られたこともありません。奇跡は、まだ一つも行っておられなかったのです。 それでも、水から上がられたその時、天が開け、父が声をあげられました。 「また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」マタイに...
私たちはつい、画面に並ぶ数字や机に向かった時間の長さで成功をはかります。昼も夜も相場を追いかけ、目が腫れるまで見つめ続けます。疲れ果てることこそ、繁栄の代価なのだと思い込んでいるのです。 けれども神は、成功をまったく別の言葉で定義なさいます。神がヨシュアに語りかけられたとき、お与えになったのは戦の作戦でも、額に汗する労働の手引きでもありませんでした。お与えになったのは、み言葉についての命令でした。...
多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...
自然は、ただの背景ではありません。聖書によれば、被造物は生きており、知っており、そしてうめいています。 大地は堕落の重みの下でうめいています。虚無に服したのは、自ら望んだからではなく、人が道を見失ったからです。そして今、被造物は爪先立ちになって、あるひとつの出来事を待っています。 神が降りてこられるのを待っているのではありません。あなたが成熟するのを待っているのです。 「被造物は、実に、切なる思い...
法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...
何かが順調に育っていくとき、人はよく、運や才能やタイミングのおかげだと言います。けれども聖書は、いつも別のものに目を向けさせます。 「家は知恵によって建てられ、悟りによって堅くせられ、」箴言 24:3 (口語訳) 国は、知恵ある指導者の力によって立ち上がります。家庭は、柔和な導き手のもとで癒されていきます。地域は、よく牧される時に花を咲かせます。 すぐれた導きは、決して自分に目を向けさせません。そ...
新約聖書は、二種類の教えをはっきりと分けています。 一方は自由をもたらします。もう一方は重荷を負わせます。 パウロは幾度もこの問題に向き合いました。福音に規則や儀式、人の努力を混ぜ込みはじめた人たちがいたのです。耳には信心深く響きました。けれども、そこにいのちはありませんでした。 パウロはこう書いています。 「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って...
神が聖であることを、わたしたちは知っています。義であることも知っています。けれども聖書は、それ以上のものを見せようとしています。 「神は愛である」 ヨハネの第一の手紙 4:8 (口語訳) 愛は、神の気分ではありません。愛は、神そのものです。 そして愛は、いつも人のほうへと動きます。愛は与えます。愛は回復させます。愛は満たします。愛は、思っていた以上の恵みと、自分にはふさわしくないと思うほどの忍耐を...
ときどき、あまりにも深いところから湧き上がってきて、自分で考え出したものではないと分かる思いがあります。 そっと背を押すような、うながし。 「これだけのはずがない」 それは思いがけない時に顔を出します——何かを勝ち取った後にも、失った後にも、何事もない平凡な火曜日にも。 野心が語っているのではありません。 不満が言わせているのでもありません。 あなたの内におられる神の御霊が、上へと呼んでおられるの...
いらだちは、目の前にいる人から始まることは、めったにありません。たいていは、自分の内側に居座っている心配から始まります。 口に出せないままの重圧が、小さなことを鋭いことに変えてしまいます。受けとり違えた声の調子が、言い争いになります。何気ないひと言が、深い傷になります。 聖書はこう語ります。 「心に憂いがあればその人をかがませる」箴言 12:25 (口語訳) 心が重荷を抱えているとき、言葉には棘が...
多くの信者は、神のご臨在を「どこかへ入っていくもの」と思い描きます。けれども聖書が教えるのは、それが「携えていくもの」だということです。 パウロはこう書いています。 「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである」コリント人への第一の手紙 6:19 (口語訳) ここで「宮」と訳されている語は (ナオス...
失ったものの回復を待ちながら、なぜこんなにも遅いのか、なぜこんなにも遠いのかと、多くの信じる者が首をかしげます。けれども聖書は、こう告げています。 回復は、罪責感が終わるところから始まります。 レビ記を読むと、罪過が認められ、その負いめが供え物へと移されるたびに、回復はただちに続いて起こりました(レビ記 6:5)。奪ったものをそのまま返すだけではありません。それに五分の一を加えて返すのです。百に二...
金で舗装された道、と聞けば壮麗に響きます。けれども、よくよく考えれば、それはただの舗装です。地上で私たちが追いかけてやまないものが、天ではただの床材なのです。これは神の、やわらかな問いかけなのかもしれません。あなたが追っているのは、敷石ですか。それとも、その方ご自身ですか。 境遇の成功は、きらめきます。人となりの成功は、造り変えます。 多くの人は、目に見えるものを追います。利益、喝采、次の節目。け...