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検索語: “父なる神”

17件の記事が見つかりました

働く前に、愛されている

ひとりの病人をいやされる前に、イエスはヨルダン川に立っておられました。水をぶどう酒に変えてもいません。パンを増やして飢えた人々を満たしてもいません。群衆に向かって語られたこともありません。奇跡は、まだ一つも行っておられなかったのです。 それでも、水から上がられたその時、天が開け、父が声をあげられました。 「また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」マタイに...

悪魔が省いた一語

ヨルダン川で、父なる神がイエスを「わたしの愛する子」と呼ばれた、そのすぐあとのことでした。イエスは荒野に導かれ、悪魔が試みるために近づいてきます。表向きは、飢えのこと、力のことのように見えます。けれども戦いの芯にあったのは、「あなたは何者か」という問いでした。 悪魔が使った言葉を、よく見てみてください。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じ...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

ダビデの幕屋は建て直される

終りの日に、神が建て直すと約束されたものがあります。それはモーセの幕屋ではありませんでした。あの制度は、隔たりと重い律法と、目に見える仕切りの上に立っていたからです。神が起すと言われたのは、倒れたままになっていたダビデの幕屋でした。 「その日には、わたしはダビデの倒れた幕屋を興し、その破れを繕い、そのくずれた所を興し、これを昔の日のように建てる。」 アモス書 9:11 (口語訳) モーセの幕屋では...

救いは失われるのか——恵みの本当の意味

裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...

神がダビデを喜ばれた理由

神が私たちを愛しておられることは、だれもが知っています。けれども、「愛されている」ことと「喜ばれている」こととの間には、はっきりとした違いがあります。 ダビデは歴代志上 28:4 で、はっとさせられることを口にしました。「わたしの父の子らのうちではわたしを喜んで、全イスラエルの王とせられた」 歴代志上 28:4 (口語訳) ここで使われているヘブライ語は、(ハーフェツ) חָפֵץ —「喜びとする...

キリストにあるあなたは誰か——恵みが定めた30の真実

人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...

父がつける名

あなたのアイデンティティをめぐって、目に見えない争いが起きています。しかもそれは、あなたが生まれ出るその瞬間に、いちばん激しくなるのです。 創世記に、こんな場面があります。ラケルは出産の苦しみのなかで、命が尽きようとしていました。彼女は生まれたばかりの我が子を、自分の痛みという窓ごしに見つめます。そして名を呼びました。(ベン・オニ) בֶּן־אוֹנִי — 「わたしの悲しみの子」と。 誕生にと...

神はもう、あなたを採点していません

多くの人は、神をこんなふうに思い描くのではないでしょうか。答案に赤を入れる先生のように、こちらの思いを、失敗を、出来ばえを、一つひとつ採点しておられる方だと。 けれども、聖書はこう告げます。 「あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。」コロサイ人への手紙 3:3 (口語訳) 隠されています。覆われています。代表されています。 父なる...

教会は建物ではなく、家族です

聖書が「教会」と言うとき、そこで語られているのは、壁でも、壇でも、座席の数でもありません。 そこで用いられているギリシア語は (エクレーシア) ἐκκλησία — 「呼び出された者たち」。恵みによって一つの家族へと集められた、人々のことを指しています。 主イエスは言われました。 「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」マタイによる福音書 16:18 (口語訳) 主が語っておられたのは、建築...

戦いの前に、食卓を

聖書には、あなたにぜひ見ていただきたい一つの型があります。戦いの前に、神はご自分の民を養われます。 アブラハムがロトを救い出して帰ってきたとき、ひとりの不思議な人物が現れました。 「サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた」創世記 14:18 (口語訳) アブラハムが養われ、力を得たあとで、ソドムの王がやって来ます。敵の姿を映し出す一場面です。 この順序にこそ、意味があります。 神は戦...

イエスに現された父の心

神とはほんとうにどんなお方なのだろう、と思いめぐらしたことがあるなら、聖書を開いてみてください。 「わたしを見た者は、父を見たのである」ヨハネによる福音書 14:9 (口語訳) 推し量る必要はありません。影はありません。矛盾もありません。 イエスがらい病の人に触れられたとき、それは父の御手でした。イエスが打ちひしがれた者を起こされたとき、それは父の心でした。イエスが虐げられた人をいやされたとき、そ...

養い、いやし、また養う

聖書の中に、神が指導者たちに向かって語られる箇所があります。やさしい言葉ではありません。ぼかしてもおられません。痛いほど、はっきりしています。 「あなたがたは弱った者を強くせず、病んだ者をいやさず」エゼキエル書 34:4 (口語訳) 神は、説教の内容が間違っていると責められたのではありません。いやさなかったことを責められたのです。 神にとって、羊を飼うとは、昔から二つのことでした。養うこと、そして...

あなたの欠けに、神はうろたえない

いちばん信じにくいことの一つは、自分にはまだ欠けが見えているのに、神はあなたをきよい者として見ておられる、ということです。 主イエスは弟子たちにこう言われました。 「あなたがたは、わたしが語った言葉によって、すでにきよくされている」 ヨハネによる福音書 15:3 (口語訳) これから きよくなる、のではありません。すでに きよい、のです。 ここで使われているのは (カタロス) καθαρός —...

神は老いることがない

神を思い描くとき、長い白ひげをたくわえ、遠くから眉をひそめている老人を思い浮かべる人がいます。けれども、天にしわはありません。衰えもありません。朽ちることもありません。天では、何ひとつ古びないのです。 老いは堕落に属するものであって、父なる神に属するものではありません。 神がモーセにご自身の名を告げられたとき—— 「わたしは、有って有る者」 出エジプト記 3:14 (口語訳) (エフイェ・アシェル...

その訓練は、恵みです

「訓練」という言葉を聞くと、信じる者の多くは罰を思い浮かべます。けれども聖書が語るのは、子を形づくってくださる、愛に満ちた父の姿です。 聖書はこう告げます。 「主は愛する者を訓練し」 ヘブル人への手紙 12:6 (口語訳) 。すべての矯正の背後にあるのは、怒りではなく、愛なのです。 矯正は、神があなたを退けることではありません。矯正は、神があなたを守ってくださることです。 父なる神の御心は、ヤコブ...

大胆に祈れる理由

多くの信じる者が、祈れば神が近づいてくださると思って祈ります。けれども聖書は、キリストがすでにあなたを近い者としてくださった、と告げます。 パウロはこう書いています。 「ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。」エペソ人への手紙 2:13 (口語訳) 祈りは、はしごを一段ずつ登ることではありません。祈り...