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検索語: 父なる神

6件の記事が見つかりました

働く前に、愛されている

ひとりの病人をいやされる前に、イエスはヨルダン川に立っておられました。水をぶどう酒に変えてもいません。パンを増やして飢えた人々を満たしてもいません。群衆に向かって語られたこともありません。奇跡は、まだ一つも行っておられなかったのです。 それでも、水から上がられたその時、天が開け、父が声をあげられました。 「また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」マタイに...

悪魔が省いた一語

ヨルダン川で、父なる神がイエスを「わたしの愛する子」と呼ばれた、そのすぐあとのことでした。イエスは荒野に導かれ、悪魔が試みるために近づいてきます。表向きは、飢えのこと、力のことのように見えます。けれども戦いの芯にあったのは、「あなたは何者か」という問いでした。 悪魔が使った言葉を、よく見てみてください。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じ...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

ダビデの幕屋は建て直される

終りの日に、神が建て直すと約束されたものがあります。それはモーセの幕屋ではありませんでした。あの制度は、隔たりと重い律法と、目に見える仕切りの上に立っていたからです。神が起すと言われたのは、倒れたままになっていたダビデの幕屋でした。 「その日には、わたしはダビデの倒れた幕屋を興し、その破れを繕い、そのくずれた所を興し、これを昔の日のように建てる。」 アモス書 9:11 (口語訳) モーセの幕屋では...

救いは失われるのか——恵みの本当の意味

裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...

神がダビデを喜ばれた理由

神が私たちを愛しておられることは、だれもが知っています。けれども、「愛されている」ことと「喜ばれている」こととの間には、はっきりとした違いがあります。 ダビデは歴代志上 28:4 で、はっとさせられることを口にしました。「わたしの父の子らのうちではわたしを喜んで、全イスラエルの王とせられた」 歴代志上 28:4 (口語訳) ここで使われているヘブライ語は、(ハーフェツ) חָפֵץ —「喜びとする...