検索結果

検索語: “誘惑”

18件の記事が見つかりました

人に気に入られたい心の正体

サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...

文脈を離れた一節は、口実になる

1535年、マイルズ・カヴァデールが、英語で初めての完全な聖書を印刷しました。その序文で、彼は読者にたったひとつの心得を残しています。「聖書を理解するのに大いに助けとなるのは、何が語られ、何が書かれているかだけでなく、だれによって、だれに向かって、どのような言葉で、いつ、どこで、何のために、どのような状況のもとで語られたのかに心を留め、その前に何があり、その後に何が続くのかを考えることである」 長...

その「ノー」が、あなたを深くする

ヨセフは十七歳で夢を見ることができました。けれども夢を解き明かせるようになったのは、誘惑を退けた後のことです。 夢を見ることは、賜物です。解き明かすことは、成熟です。 ヨセフは若い日に幻を見ました。けれども、その意味は分かっていませんでした。ポテパルの妻に「いいえ」と言ったとき——誘惑が彼を試したその後で——聖書は初めて、彼が夢を解き明かす姿を記します。 「ヨセフは彼らに言った、『解き明かしは神に...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

「いいえ」の隠れた報い

誘惑に「いいえ」と言うことが、霊的な識別力を育てます。 誘惑は、ただの試験ではありません。それは訓練です。 あなたが口にする一つひとつの「いいえ」が、内側に場所を刻みます。澄んだまなざしのための場所、力のための場所、知恵のための場所を。 ヨセフが夢を解く力を得たのは、宮殿ではありません。牢獄でした。 聖書は、その理由をこう示します。 「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである」 ヤコブの手紙 1:12...

悪魔が省いた一語

ヨルダン川で、父なる神がイエスを「わたしの愛する子」と呼ばれた、そのすぐあとのことでした。イエスは荒野に導かれ、悪魔が試みるために近づいてきます。表向きは、飢えのこと、力のことのように見えます。けれども戦いの芯にあったのは、「あなたは何者か」という問いでした。 悪魔が使った言葉を、よく見てみてください。 「すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じ...

律法の下ではなく、恵みの下に

律法は、何をすべきかを告げます。恵みは、何がすでに成し遂げられたかを告げます。一方はあなたから取り立て、もう一方はあなたに供給します。そして聖書は、わたしたちが今どちらの下に生きているのかを、少しもあいまいにしていません。 ローマ人への手紙6章14節を耳にしたことのある方は多いでしょう。けれども、その一節が何を宣言しているのかに立ち止まった方は、そう多くありません。パウロは「律法と恵みのつり合いを...

ダビデが開かなかった部屋

私たちの心には、できれば閉じたままにしておきたい部屋があります。触れられたくない、名前をつけられたくない、覗かれたくない場所です。 ダビデもまた、それを知っていました。 彼はほとんどすべてを神のもとへ携えていきました。恐れも、怒りも、受けた不当な仕打ちも、失望も、混乱も、そしていちばん暗い感情までも。 「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。」詩篇 13:1 (口語訳)...

もう力まなくていい――聖書が語る安息

神はすべてのわざを終え、造られたものをことごとく見渡し、それから思いがけないことをなさいました。休まれたのです。疲れたからではありません。すべてが完成したからです。 このひとつの出来事――第七日の安息――が、聖書に記されたあらゆる平安の約束、供給の約束、守りの約束の土台になりました。それなのに、多くの信仰者は今も、安息を「余裕のある人にだけ許された贅沢」のように扱っています。 聖書は安息を付け足し...

主イエスが闇に放った一言

書かれた御言葉はもう古い、と言う人がいます。主イエスは、そうは考えませんでした。 荒野で、敵と真正面から向き合われたとき、主イエスが用いられたのは、幻でも、奇跡でも、新しい啓示でもありませんでした。 聖書でした。 「導かれている気がします」でもなく、「神がこう語っておられる気がします」でもなく。 ただ、ひとこと。「書いてある」マタイによる福音書 4:4–10 (口語訳) ここで主が用いられた言葉は...

あなたは高い召しに招かれています

恵みは、あなたが罪に「いいえ」と言う力を与えます。あなたは、もっと高いものへと招かれているからです。 自分が何者であり、どこに立っているかが分かるとき、罪は色あせます。誘惑が強く見えるのは、自分の立つ場所を忘れているときだけです。 ヨセフは、それを知っていました。ポテパルの妻の前に立ったとき、彼は自分の意志の強さに訴えませんでした。彼が拠りどころとしたのは、自分が何者であるかということでした。 「...

愛は人を道具にしません

めったに口にされない誘惑があります。 はでな誘惑ではありません。もっと静かで、気づきにくい誘惑です。 だれかを自分の引き立て役にすること。求められている、うらやましがられている、認められている、意味のある者だ——そう感じるために、人を使ってしまうことです。 主イエスは、SNSが生まれるはるか前から、このことを言い当てておられます。 「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人...

戦いの前に、食卓を

聖書には、あなたにぜひ見ていただきたい一つの型があります。戦いの前に、神はご自分の民を養われます。 アブラハムがロトを救い出して帰ってきたとき、ひとりの不思議な人物が現れました。 「サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた」創世記 14:18 (口語訳) アブラハムが養われ、力を得たあとで、ソドムの王がやって来ます。敵の姿を映し出す一場面です。 この順序にこそ、意味があります。 神は戦...

あなたの欠けに、神はうろたえない

いちばん信じにくいことの一つは、自分にはまだ欠けが見えているのに、神はあなたをきよい者として見ておられる、ということです。 主イエスは弟子たちにこう言われました。 「あなたがたは、わたしが語った言葉によって、すでにきよくされている」 ヨハネによる福音書 15:3 (口語訳) これから きよくなる、のではありません。すでに きよい、のです。 ここで使われているのは (カタロス) καθαρός —...

イエスはあなたの愆祭(アシャム)

旧約聖書に、一つの供え物があります。(アシャム) אָשָׁם — 「とが(罪過)のための供え物」。口語訳では「愆祭(けんさい)」と訳されている語です。 それは、赦しだけを扱う供え物ではありませんでした。償い——損なったものを全額返し、さらに五分の一を加えることまで求められたのです(レビ記 6:5)。 神がそう定められたのは、もっと大きなことを指し示すためでした。イエスは、あなたの罪責をただ負われ...

意志の力に勝るもの

束縛から抜け出す道は、はじめのうち、たいして力があるようには見えないことがあります。むしろ、あまりにも単純に思えるのです。 「まだもがいている最中に、私はキリストにあって神の義です と告白したところで、いったい何が変わるのでしょうか」。そう問いたくなる信仰者もいるでしょう。 その問いに、聖書が答えます。 「彼は一つのささげ物によって、きよめられる者たちを、永遠に全うされたのである。」ヘブル人への手...

世界でいちばん古い嘘

人の痛みを、その始まりまでさかのぼってみてください。やがて一つの声が、たった一つの問いを投げかけているのが聞こえてきます。 「……ほんとうに神が言われたのですか」創世記 3:1 (口語訳) それが敵の最初の戦略でした。そして今も、その手口は変わりません。 彼はまず、罪を犯させようとするのではありません。まず、疑わせようとするのです——神の良さを、神の惜しみない心を、あなたに向けられた神の思いを。...

告発者が隠したいこと

敵の第一の戦略は、恐れでも、誘惑でも、混乱でもありません。それは「告発」です。 ヘブライ語の名 (ハ・サタン) הַשָּׂטָן — 「訴える者」「告発者」。行き当たりばったりに襲いかかる者ではなく、法廷に立つ計算された声です。 ヨハネの黙示録は、彼をこう描きます。 「われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者」ヨハネの黙示録 12:10 (NKJV より私訳) 告発が効き...