20件の記事が見つかりました
カイロスの意味とは?時計では測れない神の時
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
検索語: “権威”
20件の記事が見つかりました
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
午前一時、ひとりの青年がベッドに横たわり、顔から十五センチのところにスマートフォンを掲げています。浜辺にいる女の子、友人の新しい車、行ったこともない街に住む見知らぬ誰かの部屋。指を滑らせ、いったん置き、また手に取り、また滑らせる。そして明日の朝、彼は今夜よりもう少し気分が沈んでいるのです。 彼は、他人を通して生きています。他人の目で世界を眺め、他人のいちばん良い瞬間と自分を並べてしまう。結果は目に...
使徒パウロは、死を、いつ襲いかかってくるか分からない予測不能の敵とは見ていませんでした。突然の事故や不治の病におびえて生きることもありませんでした。彼はこの世を去ることを、自分で選び取るものとして語ったのです。 ローマの獄中から、彼は二つの道を秤にかけました。 「わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、その方がはるかに...
多くの人は、日々を仕事と用事と、たまの休みの繰り返しのように過ごしています。けれども神は、あなたのために、それとは別の計画を用意しておられます。 あなたは、生まれるより前から定まり、一生の長さでは収まりきらない使命を負っています。 パウロは、神の夢をこう描いています。 「それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。」エペソ人...
古代の戦において、王家の上着は、その人の身分と権威と、これから歩む未来とを語るものでした。ダビデがゴリアテを討ち取り、敵の首を手にして王の前に立ったとき、イスラエルの王子ヨナタンは、ためらうことなく、思い切ったことをします。 「ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。またそのいくさ衣、およびつるぎ、弓、帯までも、そうした。」サムエル記上 18:4 (口語訳) ヨナタンは、自分の身分を表...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
法的に、あるいは制度として見るとき、権威とは感じ取るものではなく、代表するものです。主イエスは「いっさいの権威」がご自分に与えられたと言われ、そのうえで、その立場をご自分に従う者たちに委ねられました。 「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたので、あなたがたを害するものは、決して何もない」 ルカによる福音書 10:19 (口語訳) これは実務としての委譲...
わたしたちは、霊と魂と体という三つからなる者です。それは、古代の幕屋の姿をそのまま映しています。外庭は体、聖所は魂、そして至聖所は霊にあたります。 日々の暮らしの大半は、はじめの二つの場所で営まれています。体で感じることに目を向け、心で考えることに時間を費やす。けれども、異言をもって祈るとき、あなたは至聖所から――霊なる人として――神の前に立っているのです。 「しかし、愛する者たちよ。あなたがたは...
わたしたちはしばしば、安全に守ることを忠実さと取り違えます。 ミナのたとえでは、ある身分の高い人が、王位を受けるために遠い国へ旅立ちます。出かける前に、僕たちに金を預け、はっきりとした言いつけを残しました。 「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」 ルカによる福音書 19:13 (口語訳) 帰ってきた主人は、僕たちを一人ずつ確かめます。最初の僕は、一ミナを十ミナにしていました。主人はこれを...
旧約の時代、神は王座に着く者に、一風変わった命令をお与えになりました。まず軍を増やせとも、宮殿を高く築けとも言われません。筆を執りなさい、と言われたのです。 「彼がその国の王座に座するようになったならば、彼はこの律法の写しを、自分のために一つの書物に書きしるさなければならない。……それを身近く置き、生きながらえる日の間、常にそれを読まなければならない。」 申命記 17:18-19 (NKJV より...
この世では、声の大きさが値打ちと取り違えられ、腕力が有効さと混同されがちです。状況を変えるには、もっと力がいる——私たちはそう思い込んでいます。けれども、力と権威のあいだには、思いのほか深い隔たりがあります。 交差点の真ん中に立つ警官を思い浮かべてみてください。背丈は小さいかもしれません。見るからに頼りない体つきかもしれません。十トンのトラックを押しとどめるだけの筋力など、もちろん持ち合わせてはい...
肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...
人は放っておいて、いのちの言葉を語るようにはできていません。私たちはごく気軽に、墓場の言葉づかいで自分の食欲を語ります。「腹が減って死にそうだ」と言い、答案を書き損じた学生は「終わった、もう死んだ」と言います。 たかが一食の食事、たかが一時の困りごとを、終わりを告げる言葉で語る。あまりに繰り返すものですから、異常なことがすっかり当たり前の顔をして座っています。 けれども神は、人の言葉が文字どおりの...
紀元七十年、ローマの将軍ティトスは、エルサレムの壮麗な神殿を焼くなと軍に命じました。彼の背後には、広大な帝国の軍事力がありました。 しかしその四十年前、主イエスは山の上に立ち、まったく別の結末を告げておられました。あの神殿の石は、一つとして崩されずに残ることはない、と。 二人の王の子が、正反対のことを口にしたのです。ローマ皇帝の子ティトスは、建物を守れと命じました。神の御子イエスは、その全き崩壊を...
神は傑作を造られました。天と地を造り終えられたとき、神はただ「良い」と言われたのではありません。「はなはだ良かった」と言われたのです。 そしてそのあと、神は危険とも思える一手を打たれました。人に鍵を手渡されたのです。 神は人に支配権をお与えになりました。この地に対する権威を、私たちの手に委ねられたのです。ところが悲しいことに、最初の人アダムは、偽り者の側に立ってしまいました。あの嘘に耳を貸すことを...
裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...
自然は、ただの背景ではありません。聖書によれば、被造物は生きており、知っており、そしてうめいています。 大地は堕落の重みの下でうめいています。虚無に服したのは、自ら望んだからではなく、人が道を見失ったからです。そして今、被造物は爪先立ちになって、あるひとつの出来事を待っています。 神が降りてこられるのを待っているのではありません。あなたが成熟するのを待っているのです。 「被造物は、実に、切なる思い...
ふつうの競走では、スタートラインに立ち、ゴールを目指して走ります。賞はいちばん最後に受け取るものです。 ところが福音は、その順番をひっくり返します。 イエスの死と葬りと復活のゆえに、信じる者は一瞬にしてゴールへと運ばれました。わたしたちは勝利を目指して働くのではありません。勝利から出発して働くのです。 多くの人が、キリスト者の歩みを梯子のように考えています。「恵みによって救われた」というのは幼稚園...
人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...
戦いはあります。目をそらすわけにはいきません。御国のために生きようと心を決めたその時から、必ず抵抗に出会います。 けれども、その戦いにどう身を置くかが問われます。私たちはつい、霊的な戦いを息せき切った攻撃のように思い描きます。敵を組み伏せ、一歩ずつ陣地を奪い取っていく取っ組み合いのように。 けれども、本文を見てみましょう。使徒パウロが「格闘」を意味する語を用いたのは、ただ一度きり。それに対して「立...