はがされた恥 — 主が着せてくださる衣

古代の戦において、王家の上着は、その人の身分と権威と、これから歩む未来とを語るものでした。ダビデがゴリアテを討ち取り、敵の首を手にして王の前に立ったとき、イスラエルの王子ヨナタンは、ためらうことなく、思い切ったことをします。
ヨナタンは、自分の身分を表すものを脱ぎ、ダビデに手渡しました。自分の衣をダビデにまとわせることによって、ダビデこそ王の座にふさわしい者だと宣言したのです。ひとりが高い位置から降り、もうひとりがそこを歩けるようにする。
この出来事は、まっすぐ十字架を指し示しています。ローマの兵士たちは、主イエスを十字架にあげる前に、その衣をはぎ取りました。主はあざける群衆の前に、何も身にまとわぬ姿でかけられたのです。
主イエスは、十字架の上で、まったくの裸を引き受けられました。聖書において裸とは、罪が目に見える形で現れたこと、そして人前での辱めを表します。主はたまたま恥にさらされたのではありません。あなたの負い目を、公の恥ごと清算するために、ご自分でそれを選び取られたのです。当時、法的な文書で負債の帳消しに用いられたギリシア語があります。(エクサレイフォー) ἐξαλείφω —「ぬぐい去る、消し去る」。主イエスは、その辱めをご自身が負うことによって、あなたの過去に書かれた訴えの文字を消してくださいました。
主イエスが衣をはがれて十字架にかかってくださったからこそ、神はあなたに王の衣を着せてくださいます。神は、あなたの失敗にまみれた汚れた着物を取り去り、ご自身の身分ですっぽりと覆ってくださるのです。
もう、過去を隠す必要はありません。自分を弁護して評判を守る必要もありません。あなたの安心は、社会的な立場や、積み上げた実績にかかってはいないのです。神の御子は、カルバリの丘で、あなたと場所を取り替えてくださいました。主があなたの裸をその身に負い、あなたは主の完全な義にすっかり覆われて、神の前に立つ者とされたのです。
主イエスが十字架で恥をあらわにされたからこそ、あなたはいつまでも主の義の衣を着て立つことができます。
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