古代の戦において、王家の上着は、その人の身分と権威と、これから歩む未来とを語るものでした。ダビデがゴリアテを討ち取り、敵の首を手にして王の前に立ったとき、イスラエルの王子ヨナタンは、ためらうことなく、思い切ったことをします。

「ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。またそのいくさ衣、およびつるぎ、弓、帯までも、そうした。」サムエル記上 18:4 (口語訳)

ヨナタンは、自分の身分を表すものを脱ぎ、ダビデに手渡しました。自分の衣をダビデにまとわせることによって、ダビデこそ王の座にふさわしい者だと宣言したのです。ひとりが高い位置から降り、もうひとりがそこを歩けるようにする。

この出来事は、まっすぐ十字架を指し示しています。ローマの兵士たちは、主イエスを十字架にあげる前に、その衣をはぎ取りました。主はあざける群衆の前に、何も身にまとわぬ姿でかけられたのです。

「彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、」マタイによる福音書 27:35 (口語訳)

主イエスは、十字架の上で、まったくの裸を引き受けられました。聖書において裸とは、罪が目に見える形で現れたこと、そして人前での辱めを表します。主はたまたま恥にさらされたのではありません。あなたの負い目を、公の恥ごと清算するために、ご自分でそれを選び取られたのです。当時、法的な文書で負債の帳消しに用いられたギリシア語があります。(エクサレイフォー) ἐξαλείφω —「ぬぐい去る、消し去る」。主イエスは、その辱めをご自身が負うことによって、あなたの過去に書かれた訴えの文字を消してくださいました。

主イエスが衣をはがれて十字架にかかってくださったからこそ、神はあなたに王の衣を着せてくださいます。神は、あなたの失敗にまみれた汚れた着物を取り去り、ご自身の身分ですっぽりと覆ってくださるのです。

「わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ。主がわたしに救の衣を着せ、義の上衣をまとわせて、」イザヤ書 61:10 (口語訳)

もう、過去を隠す必要はありません。自分を弁護して評判を守る必要もありません。あなたの安心は、社会的な立場や、積み上げた実績にかかってはいないのです。神の御子は、カルバリの丘で、あなたと場所を取り替えてくださいました。主があなたの裸をその身に負い、あなたは主の完全な義にすっかり覆われて、神の前に立つ者とされたのです。

主イエスが十字架で恥をあらわにされたからこそ、あなたはいつまでも主の義の衣を着て立つことができます。