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検索語: “キリストにある自分”

7件の記事が見つかりました

もう、着いています

見知らぬ国を、長い時間かけて車で走っていると想像してみてください。体は疲れ、肩には力が入り、目は宿を探しています。曲がるところを間違えたのではないか——そう思ってはカーナビを確かめ、また確かめる。体の緊張はじわじわと高まっていきます。ところがふと顔を上げると、宿はすぐ目の前にあるのです。車はもう、その車寄せに止まっている。着いていたのです。 その瞬間、こわばりがすっと抜けていきます。探すのをやめ、...

はがされた恥 — 主が着せてくださる衣

古代の戦において、王家の上着は、その人の身分と権威と、これから歩む未来とを語るものでした。ダビデがゴリアテを討ち取り、敵の首を手にして王の前に立ったとき、イスラエルの王子ヨナタンは、ためらうことなく、思い切ったことをします。 「ヨナタンは自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えた。またそのいくさ衣、およびつるぎ、弓、帯までも、そうした。」サムエル記上 18:4 (口語訳) ヨナタンは、自分の身分を表...

神はわたしに失望しているのか

また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...

律法は罪を見させ、恵みは神を見させる

律法は問います。「あなたは何をしたのか」と。恵みは問います。「あなたは誰と共にいるのか」と。 もしペテロが律法に導かれていたなら、彼は舟の中に座り続けていたでしょう。律法は彼に、あの否認を、あの失敗を、守れなかった約束を、くり返し思い出させたはずです。 けれども恵みは、まったく別の働きをします。 「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。」 ローマ人への手紙 8:1...

あなたの本当の血筋

人は神ではなくサタンを信じ、大逆の罪を犯しました。このただ一つの選びによって、傷ひとつなかった世界に、老いと病と死が入り込んだのです。 わたしたちはふだん、自分を地上の系図で説明します。父の短気を、父の不安を、父の病歴を、いずれ受け継ぐものと思い込んでいます。世は言います。あなたの健康も、あなたの性格も、血のつながりが決めるのだと。 けれども聖書は、その鎖をきっぱりと断ち切ります。イエスは第二のア...

あなたの価値を決めたのは、十字架です

肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...

月は光らない

私たちはいつも、自分の手で「良さ」を作り出そうとします。歯を食いしばり、力をふりしぼって、世の中に自分の一番いい姿を見せようとするのです。 聖書は教会を月にたとえます。天文学の言葉で言えば、月は光っていません。宇宙に浮かぶ岩のかたまりが、自分で火を起こし、光を生み出せるはずもないのです。月はただ、太陽の光を映しているだけです。 あなたもまったく同じしくみの中に置かれています。あなた自身の内に、もと...