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検索語: 自分の力

20件の記事が見つかりました

癒しは、力むより休むところに

いちばん深い戦いは、病そのものではないことがあります。自分の心に、自分でかけている重圧のほうが、ずっと苦しいのです。 癒されたい一心で、私たちは力み始めます。告白は足りていただろうか。正しく信じられているだろうか。祈りの時間は十分だっただろうか。 そうして力んでいるうちに、いつのまにか安息が消えてしまうのです。 けれども聖書は、私たちに必要な唯一の努力は、安息にはいることだと思い起こさせます。 「...

変える力は恵みから

まことのきよさは、努力ではなく、福音を信じるところから流れ出ます。 福音を抜きにしてきよくあろうとするのは、空気のないところで息をしようとするようなものです。本来そうであるはずのなかった苦しい格闘に、変わってしまいます。 パウロは、その源がどこにあるかを、まぎれもない言葉で示します。 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだ...

揺れの中で立つ

揺り動かされうるものは、すべて揺り動かされます。 制度も、経済も、人の手で作られた宗教も、震えています。わたしたちはそういう時代に生きています。聖書は、神が地と天とを揺り動かされる、と告げます。それは「振われないものが残るため」です。 では、最後まで残るものとは何でしょうか。恵みの御国です。 この揺れを、わたしたちはどう生き抜くのでしょうか。 「このゆえに、わたしたちは震われない国を受けているのだ...

父がなさるのを見て

主イエスは、地上のご生涯を手さぐりで歩まれたのではありません。人間的な戦略や、ご自分の野心に頼られたのでもありません。主が生きておられたのは、ひとつの単純で力ある原則でした。父がしておられるのを見て、そのとおりになさる。ベテスダの池のほとりに立たれたとき、そこには大勢の病人が横たわっていました。それなのに主は、その群れの間を通り過ぎ、ただひとりの動けない人に声をおかけになったのです。その人を癒され...

野の花よりも尊いあなた

私たちは人生の多くを、大きくなろうともがきながら過ごします。自分の背丈のこと、知恵のこと、行く末のこと。自分の手で安心を紡ぎ出し、自分の力で評判を積み上げようとします。 けれども主イエスは、それとはまったく別の道を指さされます。野の花の道です。 八福の丘の上、赤や黄の花に囲まれながら、主は一輪の花を手に取り、これがどう育っているか見てごらん、と言われました。夜更けまで働くわけでもなく、思いわずらう...

恵みの深みへ沈む

霊的な成長とは、自分自身が強くなることではありません。キリストにあって、確信が深まっていくことです。 パウロは、それを見事に言い表しました。 「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」コリント人への第二の手紙 12:10 (口語訳) 成長は、高く登っていく手ごたえとしては訪れません。むしろ、沈んでいくように感じられます——より深く、依り頼むことのうちへ。より深く、恵みのうちへ。より深く、あな...

福音の主役はあなたではありません

福音を語るとき、まず人間の罪や欠けから話し始める人は少なくありません。けれどもパウロは、まったく別のところから語り出しました。 「神の義が、その福音の中に啓示され」ローマ人への手紙 1:17 (口語訳) 福音が照らし出すのは、あなたの失敗ではありません。神の備えです。あなたの罪は、なぜ救いが必要なのかを教えます。けれども神の義は、その救いがどうして成り立つのかを教えるのです。 一方は、問題を明らか...

律法の下ではなく、恵みの下に

律法は、何をすべきかを告げます。恵みは、何がすでに成し遂げられたかを告げます。一方はあなたから取り立て、もう一方はあなたに供給します。そして聖書は、わたしたちが今どちらの下に生きているのかを、少しもあいまいにしていません。 ローマ人への手紙6章14節を耳にしたことのある方は多いでしょう。けれども、その一節が何を宣言しているのかに立ち止まった方は、そう多くありません。パウロは「律法と恵みのつり合いを...

なぜ、つぶやきは裁かれなかったのか

私たちの「さばき」の理解を、根こそぎ揺さぶる時期が、歴史の中にあります。 エジプトを出てから、シナイに着くまでの道のりです。 神はイスラエルの人々を奴隷の家から連れ出されました。彼らは紅海を渡りました。ところが、そのすぐあとから、彼らはつぶやき始めます。紅海のほとりでつぶやき、マラの苦い水の前で不平を言い、飢えれば、荒野で死なせるために連れ出したのかと神を責めました。 つぶやきは罪です。不平もまた...

血が引いた一線

かつてダビデは、神の臨在のしるしである契約の箱を、自分の町へ迎え入れようとしました。新しい車を用意し、盛大な行列を整えての出立でした。けれども、その旅は悲劇に終わります。ウザという人が、箱を支えようと手を伸ばし、その場で命を落としたのです。 (ウザ) עֻזָּא —「彼の力」 神の臨在を「自分の力」で扱おうとするとき、待っているのは疲れ果てた心と、力尽きた働きです。神が求めておられるのは、あなた...

努力では開かない扉

学ぶことも、人とのつながりも、悪いものではありません。けれども、そのどちらも、神だけが開くことのできる扉を保証してはくれません。 ヨセフには、誇れる経歴がありませんでした。肩書もありません。後ろ盾となる人脈もありません。 それでも、聖書はこう記します。 「主が彼の手のすることをみな栄えさせられる」創世記 39:3 (NKJV より私訳) 栄えたのは、うまい手立てがあったからではありません。主がとも...

内に働くものを、外へ

ピリピ人への手紙の中に、読む人の心をざわつかせる一節があります。「恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい」。 この言葉だけを切り取って読むと、救いとは自分の力でやり遂げねばならない課題のように聞こえます。けれども、すぐ後に続く言葉へ目を移した途端、その重圧はすっと消えていきます。 「…あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだ...

力ではなく、権威

この世では、声の大きさが値打ちと取り違えられ、腕力が有効さと混同されがちです。状況を変えるには、もっと力がいる——私たちはそう思い込んでいます。けれども、力と権威のあいだには、思いのほか深い隔たりがあります。 交差点の真ん中に立つ警官を思い浮かべてみてください。背丈は小さいかもしれません。見るからに頼りない体つきかもしれません。十トンのトラックを押しとどめるだけの筋力など、もちろん持ち合わせてはい...

もう力まなくていい――聖書が語る安息

神はすべてのわざを終え、造られたものをことごとく見渡し、それから思いがけないことをなさいました。休まれたのです。疲れたからではありません。すべてが完成したからです。 このひとつの出来事――第七日の安息――が、聖書に記されたあらゆる平安の約束、供給の約束、守りの約束の土台になりました。それなのに、多くの信仰者は今も、安息を「余裕のある人にだけ許された贅沢」のように扱っています。 聖書は安息を付け足し...

見つめる者が、変えられる

自分をよくしようとする努力は、くたびれます。私たちは、自分の力で自分を引き上げようとします。意志の力、規律、そして恥の感覚を使って、もっとましな人間になれと自分を追い立てます。怒りを減らそう、忍耐を増やそう、恐れをなくそう、と。けれども聖書は、変化について、まったく別の仕組みを差し出します。「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて...

勝ち取られた地に立つ

霊の戦いは、たいてい登り坂のように感じられます。けれども聖書は、こう告げます。 「すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、」エペソ人への手紙 6:14 (口語訳) 立つのです——うろたえるのではなく。立つのです——力み返るのではなく。立つのです——自分の力を作り直すのではなく。 パウロが (stēte) στῆτε — 「立て」という語を繰り返すのには、わけがあります。あなたの足...

戦いはただ一つ、安息にとどまること

イスラエルがレピデム——「休む所」という意味を持つ場所——に入ったとき、アマレクが来て戦いをしかけました(出エジプト記 17:8)。 アマレクという名は、(アーマール) עמל — 「労苦、疲れ、骨の折れる苦役」という語根から来ています。 この戦いは、ただ外の敵との戦いではありませんでした。 自分の力でやろうとする方へ引き戻す力との戦いだったのです。 モーセは丘の上に立ち、手を上げていました。 そ...

思いわずらいが供給をせき止める

神の供給は、絶えることがありません。注がれつづける油のように、静かに、豊かに流れています。 主イエスは言われました。 「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って、思いわずらうな。……あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである」 マタイによる福音書 6:31-32 (口語訳) ペテロの手紙には、こう記されています。 「神はあなた...

休むほどに、神は働かれます

握りしめた拳は、何も受け取ることができません。律法と恵みの違いは、ちょうどそこにあります。 福音の中心にあるのは、神のみわざなのか、それとも私たちの努力なのか。何世紀ものあいだ、人はこの問いをめぐって論じ合ってきました。けれどもこの答えは、机上の議論では終わりません。神の御前に立つときの、私たちの姿勢そのものを決めてしまうのです。 律法は、恵みは勝ち取れるものだとささやきます。もっと励めば、もっと...

神は求める方ではなく、満たす方

神と歩むなかで、多くの人がひそかに間違った思い込みを抱えてきました。心の奥に貼りついた、目には見えないチェックリスト。「まだ足りない。もっと頑張りなさい。もっと良くなりなさい」。 それは聖なる声のように響きます。けれども、人を疲れ果てさせます。 そして実は、律法はまさにそのために与えられました。あなたを直すためではなく、自分で自分を直せないと気づかせるために。 「律法はモーセをとおして与えられ、め...