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カイロスの意味とは?時計では測れない神の時
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
検索語: “導き”
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多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
ギデオンは酒ぶねの中に身を隠していました。モーセは「どうか、ほかの人を」と神に願いました。エレミヤは「わたしはまだ若い」と言いました。神に召された三人。そのだれもが、自分こそこの務めにふさわしくない人間だと思い込んでいたのです。 自信のなさは、現代に生まれた病ではありません。SNSや人事評価とともにやって来たものでもありません。それは堕落のときから人と共にありました。アダムとエバが神を避けて身を隠...
ある人が、寝床から出るより先にスマートフォンを開きます。戦争の記事、地震の速報、新しいウイルス、そして「この指導者は反キリストの特徴にすべて当てはまる」と語る動画を、指先で次々に流していきます。朝食のころには、もう恐れに捕らわれている。それを本人は「識別」と呼んでいます。 しるしは本物です。主イエスご自身が、それは来ると言われました。 「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、...
サウルは人を恐れて、王座を失いました。ダビデは神に愛されていることを知っていたので、王座を保ちました。この二人の王を分けたものは、人の承認の上に築かれた人生と、神の受け入れの上に築かれた人生の違いです。 人に気に入られようとすること――それは性格の問題ではありません。霊のありようの問題であり、聖書はそこに正面から触れています。「人に取り入る者」を指すギリシア語から、世論に膝を折った王の物語まで、聖...
影には実体がありません。犬の影に噛まれることはなく、剣の影に切られることもありません。見た目はいかにも恐ろしくても、傷つける力は持っていないのです。 多くの信者が、暗い谷のような試練の中を歩きます。体の病、家庭の問題、仕事の重圧。そんなとき、敵はあなたに「もう逃げ場はない」と思わせたがります。けれども詩篇の作者ダビデは、私たちの見方を変える一つの約束を書き残しました。 「たといわたしは死の陰の谷を...
今、信じる者と世との間でいちばん際立って見える違いのひとつは、老いをめぐる見方です。からだは弱り、記憶はかすみ、それはもうどうにもならない——世はそう言います。 けれども、この思い込みをくっきりと照らし出す三人の姿を、ご一緒に見ていきたいのです。 まずヨシュア。イスラエルを約束の地へ導き入れた指導者です。その生涯の終わりに近いころ、神はこう言われました。 「あなたは年が進んで老人となったが、取るべ...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
世界はかつてないほど速く動いているのに、私たちの息はかえって詰まっていくようです。危機が来ると、私たちの本能はアクセルを踏むことです。もっと働き、もっとかき集め、とにかく動いて問題をねじ伏せようとします。けれども主イエスが示された順序は、それとは違いました。まずすわる。それから受け取る。 ヨハネによる福音書 6 章で、主は大勢の群衆を前にされます。手もとに食べ物はありません。けれども主は慌てもせず...
主イエスは、地上のご生涯を手さぐりで歩まれたのではありません。人間的な戦略や、ご自分の野心に頼られたのでもありません。主が生きておられたのは、ひとつの単純で力ある原則でした。父がしておられるのを見て、そのとおりになさる。ベテスダの池のほとりに立たれたとき、そこには大勢の病人が横たわっていました。それなのに主は、その群れの間を通り過ぎ、ただひとりの動けない人に声をおかけになったのです。その人を癒され...
新しい車を買ったなら、指定された燃料を入れなければなりません。タンクにオレンジジュースを注げば、エンジンは動かなくなります。「オレンジジュースは体にいいのだ」といくら力説しても、結果は変わりません。機械は、造った人の設計どおりにしか動かないからです。 人間も同じです。自分で勝手に人生の規則をこしらえておきながら、心と体が健やかに働くことを期待するわけにはいきません。 「心をつくして主に信頼せよ、自...
新しい季節は、しばしば嵐とともに始まります。世界を見渡せば、騒がしさばかりが目につきます。自分の状況に目をやれば、風の冷たさが肌に触れます。舟は荒れた海のただ中にあるように思え、不安が心を占めようとします。 けれども、嵐はあなたの行き先ではありません。 神がイスラエルをエジプトから救い出されたのは、彼らを荒野に置き去りにするためではありませんでした。ある特定の場所へ導き入れるために、救い出されたの...
十字架の前、その仮の宿は満ちていました。 旧約の信仰者たち——アブラハム、ダビデ、サラ。彼らは天に入ることができませんでした。イエスの血が、まだ流されていなかったからです。彼らは慰めの場で待っていました。聖書はその場所を (パルデース) פרדס — 「楽園、パラダイス」と呼びます。そこは安らかに守られた領域であり、陰府との間には、越えることのできない大きな淵が定められていました。 イエスが息を引...
信仰は失敗を見ないふりをするのではありません。ただ、そこに目を据えつづけることをしないのです。 ペテロは、自分がしたことをよく知っていました。あの炭火を忘れてはいません。あの否認を忘れてはいません。あの鶏の声を忘れてはいません。 けれども、イエスが現れたとき、ペテロはあの場面を心の中で繰り返しませんでした。救い主だと、分かったのです。 「あれは主だ」 ヨハネによる福音書 21:7 (口語訳) 信仰...
長い語りかけの終わりに、イエスはひとつの、単純でありながら深いことをなさいます。ご自分の民を、安息をもって祝福されるのです。 何もしないでいることの安息ではありません。現実から目をそらすことの安息でもありません。信頼から生まれる安息です。 「信じたわたしたちは、その安息にはいるのです。」ヘブル人への手紙 4:3 (NKJV より私訳) 安息とは、心が恐れをくり返し思い描くのをやめる場所です。安息と...
多くの人は「恵み」を、受けるに値しない者への好意、と説明します。間違いではありません。けれども、まだ足りません。ローマを訪れて噴水をひとつ眺め、これが街のすべてだと言うようなものです。 新約聖書で「恵み」と訳されている言葉は (カリス) χάρις — 「恵み、好意、賜物」です。新約に百五十六回、百四十七の節に現れます。パウロが用い、ヨハネは福音書の序文をこの語を軸に組み立て、ルカはイエスの口から...
恵みを語りすぎると、信じる者は気がゆるんでしまう——そう思っていませんか。聖書は、その問いに答えています。 パウロはこう書いています。 「なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。」ローマ人への手紙 6:14 (口語訳) 律法が生むのは、恐れです。恵みが生むのは、変化です。 律法は言います。「行え、さもなければ罰を受ける」と。恵みは言い...
法廷と十字架は、同じことを語ります。負債は支払われた、と。違いがあるとすれば、十字架は、いつか信じるすべての人のために、その人が生まれる二千年も前に支払いを済ませたということです。 赦しは、自己啓発の棚から出てきた新しい思いつきではありません。聖書の中心にある出来事です。エデンから空の墓まで、聖書全体の流れは一つの出来事へ向かって進みます。神が人類の負債を帳消しにし、この勘定は済んだと宣言される出...
問題から逃げ出すとき、私たちはたいてい、行くべきでない場所にたどり着きます。 エリヤはイゼベルを逃れて、ホレブ(シナイ)の山まで走りました。そこは律法の山です。神がそこへ行けと命じられたわけではありません。彼をそこまで運んだのは、御霊の導きではなく、恐れの勢いでした。 彼は洞穴に身をひそめていました。委ねられた務めからは、はるかに遠い場所です。 それでも、神はそこにおられました。 「主の言葉が彼に...
私たちは、神が助け出してくださった苦しみについては、よく感謝します。けれども、そもそも足を踏み入れずに済んだ苦しみについて、感謝することはめったにありません。 神のご性質には、どこまでも先手を打つ一面があります。神はあなたの傍らを歩まれるだけではありません。あなたの前を歩いておられるのです。 「わが神はそのいつくしみをもって、わたしを迎えられる。」 詩篇 59:10 (口語訳) ここで「いつくしみ...
人は一生をかけて「何者か」になろうとします。けれども福音は、あなたはすでにそうなのだ、と告げます。 救われたとき、あなたが受け取ったのは課題ではありません。新しい身分です。神は「ふさわしい者になりなさい」と、やるべきことの一覧を手渡されたのではありません。あなたをキリストのうちに置き、「すべては終った」と言われたのです。 問題は、多くの信じる者がなお古い身分から生きていることです。すでに受け入れら...