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検索語: “新しくされること”

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聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

老いを世の物差しで測らない

今、信じる者と世との間でいちばん際立って見える違いのひとつは、老いをめぐる見方です。からだは弱り、記憶はかすみ、それはもうどうにもならない——世はそう言います。 けれども、この思い込みをくっきりと照らし出す三人の姿を、ご一緒に見ていきたいのです。 まずヨシュア。イスラエルを約束の地へ導き入れた指導者です。その生涯の終わりに近いころ、神はこう言われました。 「あなたは年が進んで老人となったが、取るべ...

新しくされる心は、同意から始まる

心が新しくされるのは、たいてい努力からではありません。始まりは同意です。何に自分の考え方を形づくらせるか、そこから始まります。 パウロはこう言います。 「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、」ローマ人への手紙 12:2 (口語訳) この世に合わせることは、放っておけば起こります。新しくされることは、選び取るものです。 ダビデはそれを知っていま...

古い自分は、もういません

多くのクリスチャンがここで戸惑い、古い性質はまだ生きていると思い込んでいます——毎日組み伏せなければならない、罪深いもうひとりの自分がいる、と。 けれども、真実はまったく逆です。 「わたしたちの古き人がキリストと共に十字架につけられた」ローマ人への手紙 6:6 (口語訳) 「今つけられつつある」ではありません。「繰り返しつけ直さねばならない」でもありません。すでにつけられた、と書かれています。 こ...

昨日のマナでは、生きられない

聖書は、神の言葉をマナにたとえます。新しく、日ごとに、その人にふさわしく。 イスラエルが昨日のマナをとっておこうとしたとき、それは腐っていました。 主イエスも、祈りを教えられたとき、同じ原則を繰り返されました。 「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」 マタイによる福音書 6:11 (口語訳) 週ごとではありません。ときどきでもありません。日ごとに、です。 啓示も、同じ仕組みで働きま...

聖書は神の息

自分が何を手にしているのか、私たちはときどき忘れてしまいます。息をしている書物を、です。 パウロはこう記しました。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」テモテへの第二の手紙 3:16 (口語訳)。この「神の霊感を受けて」は、もとの言葉ではたった一語です。(テオプネウストス) θεόπνευστος — 「神が息を吹き入れた」 つまり聖書は、神についての人間の推測を書き留めた記録では...