信仰は罪を忘れず、救い主を見つめます

信仰は失敗を見ないふりをするのではありません。
ただ、そこに目を据えつづけることをしないのです。
ペテロは、自分がしたことをよく知っていました。
あの炭火を忘れてはいません。
あの否認を忘れてはいません。
あの鶏の声を忘れてはいません。
けれども、イエスが現れたとき、ペテロはあの場面を心の中で繰り返しませんでした。
救い主だと、分かったのです。
信仰とは、罪に気づかなくなることではありません。
ほかのものが、もっとはっきり見えてくることです。
聖書はこう語ります。
信仰は、見つめます。
そして何を見つめるかが、歩みの向きを決めます。
罪ばかりを見る人は、その場に立ちどまります。
救い主を見る人は、前へ進みます。
恵みは記憶を消すのではありません。
向きを変えるのです。
イエスがあなたの過去よりもはっきり見えてくるとき、信仰は育ちます。
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