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聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

荒野の低木と、水辺の木

皮肉屋は、美しい部屋に通されると、まず埃を見つけます。 エレミヤ書は、二種類の人を並べて描きます。のろわれた人は、荒野に立つ乾いた低木のようだ、と。 「彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地におる。」 エレミヤ書 17:6 (口語訳) この人の悲劇がどこにあるか、心に留めてください。良いものは、ちゃんと届いているのです。ただ、それ...

「いいえ」の隠れた報い

誘惑に「いいえ」と言うことが、霊的な識別力を育てます。 誘惑は、ただの試験ではありません。それは訓練です。 あなたが口にする一つひとつの「いいえ」が、内側に場所を刻みます。澄んだまなざしのための場所、力のための場所、知恵のための場所を。 ヨセフが夢を解く力を得たのは、宮殿ではありません。牢獄でした。 聖書は、その理由をこう示します。 「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである」 ヤコブの手紙 1:12...

造り主の取扱説明書

新しい車を買ったなら、指定された燃料を入れなければなりません。タンクにオレンジジュースを注げば、エンジンは動かなくなります。「オレンジジュースは体にいいのだ」といくら力説しても、結果は変わりません。機械は、造った人の設計どおりにしか動かないからです。 人間も同じです。自分で勝手に人生の規則をこしらえておきながら、心と体が健やかに働くことを期待するわけにはいきません。 「心をつくして主に信頼せよ、自...

セラ——立ち止まるという技

聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...

弟子から、子へ

今日の教会は、弟子訓練という言葉をよく口にします。プログラムを組み、指標をつくり、仕組みで測ろうとします。そして「クリスチャンは大勢いるが、弟子はひと握りだ」と語られ、信じる者はどこか自分が二流であるかのように感じてしまいます。 原語に目を向けてみましょう。ユダヤのラビは、自分に従う者たちを (talmidim) תַּלְמִידִים — 「学ぶ者たち」と呼びました。弟子とは、つまるところ生徒...