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検索語: “訓練”

13件の記事が見つかりました

レンズ豆の畑に立つ

ダビデには三十七人の勇士がいました。その名は、サムエル記下の終わりに、戦没者の碑のように並べられています。城門の攻防や、燃え上がる塔の物語を期待するところです。 ところが、そこに記されているのはこれです。 「彼の次はハラルびとアゲの子シャンマであった。ペリシテびとが一団となって集まったところに、レンズ豆の茂った地所があった。民はペリシテびとの前から逃げた。しかし彼はその畑の真ん中に身を置き、これを...

聖書は「考えすぎ」に何と言うか

頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...

荒野の低木と、水辺の木

皮肉屋は、美しい部屋に通されると、まず埃を見つけます。 エレミヤ書は、二種類の人を並べて描きます。のろわれた人は、荒野に立つ乾いた低木のようだ、と。 「彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地におる。」 エレミヤ書 17:6 (口語訳) この人の悲劇がどこにあるか、心に留めてください。良いものは、ちゃんと届いているのです。ただ、それ...

「いいえ」の隠れた報い

誘惑に「いいえ」と言うことが、霊的な識別力を育てます。 誘惑は、ただの試験ではありません。それは訓練です。 あなたが口にする一つひとつの「いいえ」が、内側に場所を刻みます。澄んだまなざしのための場所、力のための場所、知恵のための場所を。 ヨセフが夢を解く力を得たのは、宮殿ではありません。牢獄でした。 聖書は、その理由をこう示します。 「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである」 ヤコブの手紙 1:12...

造り主の取扱説明書

新しい車を買ったなら、指定された燃料を入れなければなりません。タンクにオレンジジュースを注げば、エンジンは動かなくなります。「オレンジジュースは体にいいのだ」といくら力説しても、結果は変わりません。機械は、造った人の設計どおりにしか動かないからです。 人間も同じです。自分で勝手に人生の規則をこしらえておきながら、心と体が健やかに働くことを期待するわけにはいきません。 「心をつくして主に信頼せよ、自...

セラ——立ち止まるという技

聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...

弟子から、子へ

今日の教会は、弟子訓練という言葉をよく口にします。プログラムを組み、指標をつくり、仕組みで測ろうとします。そして「クリスチャンは大勢いるが、弟子はひと握りだ」と語られ、信じる者はどこか自分が二流であるかのように感じてしまいます。 原語に目を向けてみましょう。ユダヤのラビは、自分に従う者たちを (talmidim) תַּלְמִידִים — 「学ぶ者たち」と呼びました。弟子とは、つまるところ生徒...

誤解された従順の戦い

あなたが直面する最も大きな霊的な戦いは、行いの戦いではありません。それは、どこに目を注ぐかという戦いです。 霊的戦いとは、自分の従順のために戦うことだと、私たちはつい考えます。自分の行いを吟味し、自分の思いを見張り、基準に届いているかどうかを測ろうとします。けれども使徒パウロは、この戦いをまったく別のものとして描いています。 「もろもろの思弁と、神を知ることに逆らって立てられたあらゆる高ぶりとを打...

心に必要なのは、日ごとのリズム

多くの人は、聖書を救急薬のように扱っています。心が張り詰めたときに一服。暮らしが重くなったときに一節。 けれども聖書は、非常時のためだけに与えられたのではありません。日ごと、また日ごとに読まれるためのものです。 読む。思いめぐらす。調べる。洗われる。そのどれにも、それぞれの役割があります。 ある日は広く読み進め、心についた埃をすすぐように。ある日は歩みを緩め、ペンを手に、たった一文に自分を探られる...

建てる人から、仕上げる人へ

わたしたちは、始まりが好きです。新しい思いが走り出すときの高鳴り。最初の一歩を踏み出すときの胸の躍り。「さあ、行こう」という熱。 けれども、主イエスはこう教えられました。 「あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まずすわって、その費用を計算しないであろうか」 ルカによる福音書 14:28 (口語訳) 多くの夢が崩れるの...

その訓練は、恵みです

「訓練」という言葉を聞くと、信じる者の多くは罰を思い浮かべます。けれども聖書が語るのは、子を形づくってくださる、愛に満ちた父の姿です。 聖書はこう告げます。 「主は愛する者を訓練し」 ヘブル人への手紙 12:6 (口語訳) 。すべての矯正の背後にあるのは、怒りではなく、愛なのです。 矯正は、神があなたを退けることではありません。矯正は、神があなたを守ってくださることです。 父なる神の御心は、ヤコブ...

罪がうまくいっているように見えるとき

公然と罪の中に生きている人を見て、ふとこう思うことがあります。「あの人は楽しそうだ。何も起こっていないように見える」。 実際には何が起きているのか、お話しさせてください。 ソロモンはこう記しました。 「とがを犯す者の道は険しい」箴言 13:15 (NKJV より私訳) 外側はなめらかに見えるかもしれません。けれども、内側はそうではないのです。 信じる者に対して、神は愛のゆえに訓練なさいます(ヘブル...

内側から揺るがない人へ

パウロは信じる者のために祈るとき、楽な人生を願いませんでした。 彼が祈ったのは、力を与えられた心でした。 その祈りは、こう記されています。 「また、神の栄光の勢いにしたがって、あらゆる力をもって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、」 コロサイ人への手紙 1:11 (口語訳) 強さには、二つの向きがあります。 1. 忍耐 — 境遇に向かって 2. 寛容 — 人に向かって 喜びをもって — その両方に...