かつてダビデは、神の臨在のしるしである契約の箱を、自分の町へ迎え入れようとしました。新しい車を用意し、盛大な行列を整えての出立でした。けれども、その旅は悲劇に終わります。ウザという人が、箱を支えようと手を伸ばし、その場で命を落としたのです。

(ウザ) עֻזָּא —「彼の力」

神の臨在を「自分の力」で扱おうとするとき、待っているのは疲れ果てた心と、力尽きた働きです。神が求めておられるのは、あなたの腕力ではありません。あなたの信頼です。

その後、契約の箱はオベデ・エドムという人の家にとどまりました。すると三か月のうちに、貧しかったこの人は豊かになり、家族は健やかになり、その変わりようは国中の目に留まるほどでした。

(オベデ・エドム) עֹבֵד אֱדוֹם —「血の僕」

オベデ・エドムの秘訣は、隣人より熱心に働いたことではありませんでした。彼の秘訣は、血をどれほど尊いものと見ていたか、そこにありました。わたしたちが祝福されるのは、立派だからではない。小羊の血が、わたしたちを神との正しい関係に置いてくださったからだ——彼はそれを知っていたのです。

「わたしたちは、この御子にあって、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。これは神の豊かな恵みによる」 エペソ人への手紙 1:7 (口語訳)

やがてダビデが箱を無事に都へ迎え入れたとき、彼は六歩進むごとに立ち止まり、いけにえをささげました。「新しい車」——つまり人の工夫に頼ることをやめ、血に拠り頼み始めたのです。

イエスの血は、恐れも、病も、さばきも越えることのできない一線です。

祝福はあなたの力への報酬ではありません。いけにえのそばに身を置く者に、おのずと与えられるものです。