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検索語: 苦しみ

18件の記事が見つかりました

影はあなたを傷つけない

影には実体がありません。犬の影に噛まれることはなく、剣の影に切られることもありません。見た目はいかにも恐ろしくても、傷つける力は持っていないのです。 多くの信者が、暗い谷のような試練の中を歩きます。体の病、家庭の問題、仕事の重圧。そんなとき、敵はあなたに「もう逃げ場はない」と思わせたがります。けれども詩篇の作者ダビデは、私たちの見方を変える一つの約束を書き残しました。 「たといわたしは死の陰の谷を...

痛みを知る大祭司

神は全能であり、すべてをご存じの方です。けれども神であるままでは、空腹も、体の疲れも、人に裏切られる痛みも、人間の側から味わったことはありませんでした。 そこで神は、人となられました。 イエスは、肉体の限りを身に負われました。疲れることを、渇くことを、そして最も近い友に見捨てられることを、身をもって知っておられます。人としての体の内に、その生涯を生きられたのです。 「この大祭司は、わたしたちの弱さ...

恵みの幾何学

私たちはしばしば、苦しみと喜び、つまずきと祝福を、同じ一本の時間軸の上に並べて眺めます。どちらも同じ重さを持つかのように。けれども聖書は、私たちの人生にもう少し違うかたちを——別の幾何学を描いています。 「悪しき日」と「さいわいな日々」。この二つには、はっきりとした違いがあります。 「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい」 エペ...

闘いが終わるとき

解放とは、意志の力をふりしぼる激しい戦いだ——わたしたちはつい、そう思い込みます。習慣を断ち切ろうと歯を食いしばり、もう一日だけ耐えられますようにと願う。けれども肉は頑固なものです。押さえつければ押さえつけるほど、いっそう強く押し返してくるように感じられます。 「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」 ガラテヤ人への手紙 5:16 (口語訳) もっと高...

主が今も指摘なさる二つのこと

主イエスは、エマオの途上の弟子たちに、道徳や努力の話をなさいませんでした。もっと深いところに語りかけられました。 「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ」 ルカによる福音書 24:25 (口語訳) 指摘は二つ。そして、それは今も変わりません。 愚かさ — 頭の出来が足りなかったからではありません。すでに手にしていた聖書を、彼ら自身が分かっていなかったからで...

すべての病に、そのいやしは届きます

イザヤ書53章は「霊的な」いやしだけを語っているのではないか。そう思いめぐらす信仰者がいます。あるいは、限られた種類の病だけを指しているのではないか、と考える人もいます。 イザヤはこう記しました。 「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」イザヤ書 53:4 (口語訳) ここで用いられているヘブライ語に、目を留めてみたいのです。 (ホリー) חֳלִי — 「病、疾患」……...

シャローム——「平和」では足りない

多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...

シャロームの本当の意味

私たちはつい、「平安」を胸の内の静けさだけに縮めてしまいます。もちろん、それも平安の一部ではあります。けれども聖書が語る平安は、もっと力強いものです。ヘブライ語の (シャローム) שָׁלוֹם について学者に尋ねてみれば、これは内側の感情を指すだけの言葉ではない、と答えるでしょう。 Mounce’s Complete Expository Dictionary によれば、(シャローム) שָׁל...

み言葉は、食べるもの

落胆には、境遇から来るものもあります。けれども多くは、内側の空しさから来ます。 エレミヤは、そのことを知っていました。人生が音を立てて崩れていくただ中で、彼はこう言いました。 「わたしはあなたの言葉を見いだして、それを食べました。あなたの言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました」 エレミヤ書 15:16 (NKJV より私訳) 彼は「学びました」とは言いませんでした。「食べました」と言っ...

うつと聖書——あなたは信仰の失格者ではありません

火曜日、エリヤは天から火を呼び下ろしました。その翌日には、木の下に座り込み、神に「もう死なせてください」と願ったのです。 これは信仰の弱さの物語ではありません。生身の体を持ち、限界を抱えた、ひとりの本物の預言者の物語です。聖書はその一部始終を書き残しました——エリヤに恥をかかせるためではなく、神の民が底を打ったとき、神が何をなさるかを見せるためです。 神は説教をなさいません。みことばを投げつけて叱...

イエスに現された父の心

神とはほんとうにどんなお方なのだろう、と思いめぐらしたことがあるなら、聖書を開いてみてください。 「わたしを見た者は、父を見たのである」ヨハネによる福音書 14:9 (口語訳) 推し量る必要はありません。影はありません。矛盾もありません。 イエスがらい病の人に触れられたとき、それは父の御手でした。イエスが打ちひしがれた者を起こされたとき、それは父の心でした。イエスが虐げられた人をいやされたとき、そ...

戦いはただ一つ、安息にとどまること

イスラエルがレピデム——「休む所」という意味を持つ場所——に入ったとき、アマレクが来て戦いをしかけました(出エジプト記 17:8)。 アマレクという名は、(アーマール) עמל — 「労苦、疲れ、骨の折れる苦役」という語根から来ています。 この戦いは、ただ外の敵との戦いではありませんでした。 自分の力でやろうとする方へ引き戻す力との戦いだったのです。 モーセは丘の上に立ち、手を上げていました。 そ...

働きは、あなたを縛れない

エデンの園で、堕落ののち、神はアダムにこう言われました。 「あなたは顔に汗してパンを食べ」 創世記 3:19 (口語訳) 汗は、痛みをともなう労苦の姿となりました。生きるために働き、かつては与えられていたものを自分で勝ち取り、すべてが自分の肩にかかっているかのように生きる——その姿です。 そして、もうひとつの園が来ました。 わたしたちの罪の重みを負って、主イエスはゲツセマネにひざまずかれました。そ...

混沌をおおう翼

神がまだ一言も語られない前、光が沈黙を破るよりも前に、聖書は地の最初のありさまを、思いがけない筆致で描きます。 「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり」 創世記 1:2 (口語訳) それは無秩序でした。それは荒れ騒ぐ水でした。形もなく、平安もなく、帰るべき家もない世界。宇宙そのものが、落ち着きを失っていたかのようです。 それなのに——その混沌のただ中に、神の霊が水のおもてをおおっていました...

心に描くものが、あなたになる

アブラハムが「多くの国民の父」となったのは、自分を奮い立たせたからではありません。神が新しい心の絵を与えつづけ、その内側の世界が造り変えられていったからです。 同じように聖書は、私たちを打ち壊すような心の絵を、神が描かれるいのちの絵に置き換えるよう招いています。 「彼は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」 詩篇 1:3 (口語訳)...

その幻は、どこから来たか

すべての幻が、神から来るとは限りません。敵もまた、絵を描きます。かすかな印象、恐れをあおる映像、あるいは自尊心をくすぐる夢物語。けれども聖書は、立ち止まってよく見るなら、その二つがどれほど違うかをはっきり示しています。 バラムは、意外な例です。彼はイスラエルの民ではありませんでした。神と歩む人でもありませんでした。それでも彼が山の上に立ち、神の民を見渡したとき、 「神の霊が彼に臨んだ……全能者の幻...

凪を待たない平安

主イエスがくださったのは、世の平安ではありませんでした。ご自身の平安でした。 「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。……あなたがたは心を騒がせるな」 ヨハネによる福音書 14:27 (口語訳) 。 預言者イザヤは、この方を「平和の君」と呼びました(イザヤ書 9:6 口語訳)。 この平安は、人生の歯車がかみ合うのを待つ種類のものではありません。状況が変わったとたん...

誰も気づかない痛みを、イエスは見ておられます

人を見つめるイエスのまなざしには、息をのむようなものがあります。 人でにぎわう会堂の中で、主は十八年のあいだ腰の曲がったままの女に目を留められました。もはや誰も、その人を見ようとはしなかったのに。 「イエスはその女を見て、呼びよせ……」ルカによる福音書 13:12 (口語訳) 痛みがその体に何をしたのかを、主はご覧になりました。長い年月の落胆が、その心に何を残したのかも、ご覧になりました。そして、...