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神はわたしに失望しているのか
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
検索語: “平和”
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また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
ひとりの人が、自分の持ち物すべての十分の一を、ひとりの祭司に手渡しました。モーセの律法が与えられる四百年以上も前のことです。命令もなく、義務もなく、神殿もありません。あるのはただ、自分を救い出してくださった神への、感謝のこたえだけでした。 その人がアブラハム。そして祭司がメルキゼデクです。 十分の一をめぐる話は、たいてい義務から始まります。「ささげるべきですか」「ささげなければ神に罰せられますか」...
第一の園で、働きは呪いとなりました。アダムの堕落のゆえに、地は人に逆らうものとなり、実りは「顔に汗して」得るものとなったのです。ストレスも、不安も、重くのしかかる労苦も、その日に生まれました。 「あなたは顔に汗してパンを食べ」 創世記 3:19 (口語訳) 時をくだって、もうひとつの園があります。ゲツセマネです。そこで「第二のアダム」である主イエスは、受難の道を歩み始められました。祈っておられるう...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
律法は、何をすべきかを告げます。恵みは、何がすでに成し遂げられたかを告げます。一方はあなたから取り立て、もう一方はあなたに供給します。そして聖書は、わたしたちが今どちらの下に生きているのかを、少しもあいまいにしていません。 ローマ人への手紙6章14節を耳にしたことのある方は多いでしょう。けれども、その一節が何を宣言しているのかに立ち止まった方は、そう多くありません。パウロは「律法と恵みのつり合いを...
多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...
私たちはつい、「平安」を胸の内の静けさだけに縮めてしまいます。もちろん、それも平安の一部ではあります。けれども聖書が語る平安は、もっと力強いものです。ヘブライ語の (シャローム) שָׁלוֹם について学者に尋ねてみれば、これは内側の感情を指すだけの言葉ではない、と答えるでしょう。 Mounce’s Complete Expository Dictionary によれば、(シャローム) שָׁל...
私たちはしばしば、平安を「どこかにある目的地」のように思い描きます。 静かな海辺。森の中の小屋。扉を閉め、耳をふさいで、音を遮断した一室。私たちは平安を、どこかで見つけ出すものか、深呼吸と予定表の余白によって自分でつくり出すものだと考えています。 けれども主イエスは、「平安を探しに行きなさい」とは言われませんでした。 「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える」ヨハネ...
神はすべてのわざを終え、造られたものをことごとく見渡し、それから思いがけないことをなさいました。休まれたのです。疲れたからではありません。すべてが完成したからです。 このひとつの出来事――第七日の安息――が、聖書に記されたあらゆる平安の約束、供給の約束、守りの約束の土台になりました。それなのに、多くの信仰者は今も、安息を「余裕のある人にだけ許された贅沢」のように扱っています。 聖書は安息を付け足し...
多くの人が、もっと平安がほしい、もっと恵みを受けたいと願います。そして人の本能は、決まってこう尋ねます。「そのために、何をすればいいのか」と。 増やしたいなら、もっと努力するほかない——私たちはそう思い込んでいます。もっと自分を律し、もっと奉仕し、もっと時間を注ぐ。けれども聖書は、成長についてまったく別の道筋を示します。 「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに...
「もし神が、わたしに愛想を尽かしておられたら。もし今度こそ、行き過ぎてしまったのなら。」 そんな思いが胸を離れないなら、この御言葉は、誓いをもって答えます。 「わたしは再びあなたを怒らない、またあなたを責めないと誓った。……わがいつくしみはあなたから移ることなく、わが平和の契約は動くことがない」イザヤ書 54:9–10 (口語訳) 神は、軽い気持ちでこれを約束されたのではありません。御子の成し遂げ...