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検索語: “確かさ”

12件の記事が見つかりました

いやしは贖いのうちに

十字架の上でのイエスの死を思うとき、わたしたちがまず心に浮かべるのは、罪のゆるしです。負債は支払われ、神との間は和らげられた——そのことを喜びます。これこそ、わたしたちの信仰の土台です。 けれども、十字架のみわざは、それよりもさらに満ち足りたものでした。イエスが負われたのは、わたしたちの罪だけではありません。わたしたちの病と、わたしたちの患いをも負われたのです。からだのいやしもまた、贖いの中に含ま...

花婿は家を建ててから来る

イエスの時代のガリラヤでは、結婚はまず二人の父親が卓を囲むところから始まりました。縁談がまとまると、若者と娘は婚約します。その日から、彼女は彼のものでした。婚約は両家を結びつけるもので、これを破るには離縁の手続きが要りました。けれども、二人はまだ一緒には住みません。 花婿は去る前に、花嫁料を払いました。ヘブライ語では (mohar) מֹהַר — 「花嫁料」といいます。それは金であることもあれば...

希望の正体

わたしたちは「希望」という言葉で、少しつまずいているのかもしれません。 日ごろ使う「望み」は、どこか心もとない願いです。「雨が降らないといいな」「あの仕事が決まるといいな」。そこには不確かさがにじみ、結果はまだ宙に浮いたままです。 けれども聖書の言う希望は、投げたコインの裏表ではありません。それは錨です。 希望を表すギリシア語は (エルピス) ἐλπίς です。「たぶん」という意味ではありません。...

アガペーとは何か — 条件をつけない神の愛

ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...

恵みの幾何学

私たちはしばしば、苦しみと喜び、つまずきと祝福を、同じ一本の時間軸の上に並べて眺めます。どちらも同じ重さを持つかのように。けれども聖書は、私たちの人生にもう少し違うかたちを——別の幾何学を描いています。 「悪しき日」と「さいわいな日々」。この二つには、はっきりとした違いがあります。 「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい」 エペ...

たましいの錨

船が港にいるとき、嵐が近づけば、船長は錨を下ろします。錨は重く、暗い水の中へと沈んでいき、やがて見えなくなります。それでも、いったん海の底にしっかり食い込めば、船は安全です。波にもまれ、船体は揺れるでしょう。けれども、沖へさらわれていくことはありません。 あなたのたましいにも、錨が要ります。聖書は、わたしたちの持つ望みは「幕の内」にまで入っていくと語ります。 「わたしたちは、この望みを、たましいの...

シャローム——「平和」では足りない

多くの人は、シャロームを「平和」と訳します。それは「家庭」を「建物」と訳すようなものです。間違いではありません。けれども、まだ足りません。 シャロームは、ヘブライ語聖書のなかでもっとも豊かな言葉のひとつです。旧約聖書に二百五十回以上あらわれます。日々のあいさつとして交わされ、軍勢の上に宣言され、預言者たちによって約束され、神ご自身の名にまで刻まれました。御使たちがイエスの誕生を告げたとき、ただ気分...

失敗は失格ではありません

失敗は、人があなたを見る目を変えます。けれども、主イエスがあなたを見るまなざしは変わりません。 復活のあと、ペテロは思いがけないことをしました。漁に戻ったのです。 忠誠を誓った人でした。決して主を知らないとは言わない、と約束した人でした。そして、人々の目の前で失敗した人でした。 それなのに聖書は、ヨハネによる福音書21章を叱責からではなく、朝の食事から始めます。 「イエスが岸に立っておられた」 ヨ...

救いは失われるのか——恵みの本当の意味

裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...

神の時が遅すぎることはありません

神による遅れのただ中にいるとき、私たちはたいていそれに気づきません。ただ、重くのしかかる圧力として感じます。「どうして、よりによって今なのか」と思います。時には、神が黙っておられるようにさえ思えます。 けれども、聖書はこう語ります。 「人の歩みは主によって定められる」詩篇 37:23 (口語訳) 急がされたのでもなく。行き当たりばったりでもなく。定められているのです。 ある家族が、夜の便に間に合わ...

きよさは、正しく信じることから

福音は心をきよめます。 人は、外側から内側へと自分を変えようとします。けれども神は、内側から外側へと私たちを変えてくださいます。 習慣を洗い直し、ふるまいを整え、衝動を抑えることはできます。けれども、きよさが始まるのは、福音だけが届く場所――心です。 聖書は、実に簡潔です。 「信仰によって彼らの心をきよめ」使徒行伝 15:9 (NKJV より私訳) 福音は、ただ赦すだけではありません。きよめます。...

神が誓われた一言

「もし神が、わたしに愛想を尽かしておられたら。もし今度こそ、行き過ぎてしまったのなら。」 そんな思いが胸を離れないなら、この御言葉は、誓いをもって答えます。 「わたしは再びあなたを怒らない、またあなたを責めないと誓った。……わがいつくしみはあなたから移ることなく、わが平和の契約は動くことがない」イザヤ書 54:9–10 (口語訳) 神は、軽い気持ちでこれを約束されたのではありません。御子の成し遂げ...