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検索語: “遅れ”

17件の記事が見つかりました

カイロスの意味とは?時計では測れない神の時

多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...

いやしは贖いのうちに

十字架の上でのイエスの死を思うとき、わたしたちがまず心に浮かべるのは、罪のゆるしです。負債は支払われ、神との間は和らげられた——そのことを喜びます。これこそ、わたしたちの信仰の土台です。 けれども、十字架のみわざは、それよりもさらに満ち足りたものでした。イエスが負われたのは、わたしたちの罪だけではありません。わたしたちの病と、わたしたちの患いをも負われたのです。からだのいやしもまた、贖いの中に含ま...

三十倍は、負けではない

最初の刈り入れを終えた農夫が、畑を歩いてまわります。まいた種一粒につき、実った粒は三十。それでも彼は、畑を掘り返したりはしません。もう一度、種をまくのです。 種まきのたとえを読むとき、私たちの多くは一足飛びに百倍を望みます。三十倍はびりのように聞こえ、六十倍は「あと一歩」のように聞こえます。 マタイは収穫を大きい数から並べています。マルコは小さい数から並べています。 「ほかの種は良い地に落ちた。そ...

キリストだけが埋められる空洞

午前一時、ひとりの青年がベッドに横たわり、顔から十五センチのところにスマートフォンを掲げています。浜辺にいる女の子、友人の新しい車、行ったこともない街に住む見知らぬ誰かの部屋。指を滑らせ、いったん置き、また手に取り、また滑らせる。そして明日の朝、彼は今夜よりもう少し気分が沈んでいるのです。 彼は、他人を通して生きています。他人の目で世界を眺め、他人のいちばん良い瞬間と自分を並べてしまう。結果は目に...

供給を決めるのは景気ではありません

ききんの働きはただ一つです。倉を空にし、物の値を吊り上げ、選べる道を狭めていきます。だれもが一様に貧しくなっていきます。 だからこそ、創世記の三つの場面が際立ちます。三人の人がききんに遭いました。そして三人とも、前より多くのものを携えて、そこを通り抜けているのです。 アブラハムは、入った時より豊かになってエジプトを出ました。 ききんがアブラハムをエジプトへ追いやりました。 「さて、その地にききんが...

なぜ彼は、だれよりも長く生きたのか

エノクは三百年のあいだ、神とともに歩みました。その歩みは、ぼんやりとした信心ではありません。ひとつの具体的な啓示から始まったものでした。 エノクが六十五歳のとき、ひとりの男の子が生まれます。神はその子を、メトセラと名づけるようにと告げられました。 「エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。」 創世記 5:21-22 (口語...

台無しに見えて、そうではない

ちょうどよい時に、ちょうどよい場所にいる——それは、そよ風のように心地よいものだと、わたしたちはつい思い込みます。足もとに赤いじゅうたんがすべらかに敷かれ、扉はひとりでに開き、何もかもがぴたりと収まっていく。そんな光景を思い描くのです。 けれども、神の定めた出会いは、まるで災難のような顔をしてやって来ることがあります。 (カイロス) καιρός — 「定められた時、ふさわしい季節、好機」 「ちょ...

燃え尽きたあなたへ、休んでよいのです

天から火を呼び下した預言者がいました。四百五十人の偽預言者を相手に、国を挙げた対決に勝ちました。王の戦車を追い越して走りました。その翌日、彼は神に、わたしの命を取ってくださいと願いました。 それが燃え尽きです。才能の不足ではありません。信仰の不足でもありません。人格の破れでもありません。燃え尽きとは、注ぎ出す量が、注がれる量を超えたときに起こることです。そして聖書は、多くの人が思うよりもずっとやさ...

あなたの価値を決めたのは、十字架です

肩書きは、一度の面談で変わります。関係は、一度の会話で終わります。積み上げた読者も、アルゴリズムが一度変われば消えてしまいます。自分の値打ちがそのどれかに乗っているなら、足もとの土台は動き続けていることになります。 聖書は、人の価値という問いを宙ぶらりんにしません。いちばん初めに——創世記1章で答え、そしてもう一度、十字架で答えます。あなたが何かを成し遂げるより先に、神はあなたの値打ちを宣言され、...

遅い時間が、人を強くする

神が私たちのうちでなさる最も大切な働きは、しばしば、私たちが「霊的」とは決して呼ばない場所で起こります。赤信号、長い行列、のろのろと進む前の車、そして、その日に思い描いていた歩調をあっさり崩してしまう思いがけない中断の中で。 科学は今、聖書がずっとほのめかしてきたことを裏づけています。急ぎ、張りつめた暮らしは、体をすり減らしていきます。けれども、静かで急がない心は、長く保たれるのです。 箴言は、ご...

収穫が、種まきを待たない日

自然の世界には、必ず「間(ま)」があります。 十月に種をまき、冬の間じっと待ち、四月に刈り取る。働きと報いとの間には、幾月もの沈黙があり、幾月もの待つ時間があります。 けれども神は、その時間割そのものが畳まれてしまう季節を約束しておられます。 「主は言われる、見よ、このような日が来る。その日には、耕す者は刈る者に相継ぎ、ぶどうを踏む者は種をまく者に相継ぐ……」 アモス書 9:13 (口語訳) 思い...

神の時が遅すぎることはありません

神による遅れのただ中にいるとき、私たちはたいていそれに気づきません。ただ、重くのしかかる圧力として感じます。「どうして、よりによって今なのか」と思います。時には、神が黙っておられるようにさえ思えます。 けれども、聖書はこう語ります。 「人の歩みは主によって定められる」詩篇 37:23 (口語訳) 急がされたのでもなく。行き当たりばったりでもなく。定められているのです。 ある家族が、夜の便に間に合わ...

遅れではなく、忍耐

信仰でいちばんつらいのは、たいてい危機そのものではありません。時計の針です。 世を見渡すと、時の流れが狂ってしまったように思えます。人々はあざ笑います。この混乱を眺めながら問うのです。「神はどこにいるのか。これを正すために帰って来ると言うなら、なぜいまだに姿を見せないのか」と。 古くからある問いです。初代教会の人々も、すでに同じことを口にしていました。 「終りの時にあざける者たちが、あざけりながら...

待たせるほどの愛

ラザロの物語には、私たちがつい読み飛ばしてしまう、不思議な一節があります。 主イエスのもとに、友が死にかけているという知らせが届きます。主が愛しておられたラザロが、病に伏している。ふつうなら、すべてを置いて駆けつけられるはずです。愛とは急ぐもの、そう思うのが人の常でしょう。 ところが聖書は、正反対のことを記します。 「イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。ラザロが病気であることを聞...

神の時が、すべてを美しくする

種を蒔き、祈り、その場に立ち続けてきた——それなのに、何ひとつ動かない。そんな季節があります。 神は忘れてしまわれたのだろうか。あるいは、私が聞き違えたのだろうか。そもそも、刈り入れの日など来ないのではないか。 けれども、聖書はこう告げます。 「神のなされることは皆その時にかなって美しい」伝道の書 3:11 (口語訳) パウロもまた、同じことを書いています。 「たゆまないでいると、時が来れば刈り取...

御父の歩調で歩まれる主

ヤイロの娘は、死にかけていました。一刻を争う時でした。 ところが、その家へ向かう道の途中で、主イエスは足を止められました。ひとりの女がその衣にさわり、主は振り返り、その人を捜し、語りかけ、「娘よ」と呼ばれたのです。 私たちであれば、きっと先を急いだでしょう。主は、そうなさいませんでした。 なぜでしょうか。 主は、私たちとは違う歩調で歩んでおられたからです。御父の歩調で。 物語は、こう続きます。 「...

120%の回復の鍵

失ったものの回復を待ちながら、なぜこんなにも遅いのか、なぜこんなにも遠いのかと、多くの信じる者が首をかしげます。けれども聖書は、こう告げています。 回復は、罪責感が終わるところから始まります。 レビ記を読むと、罪過が認められ、その負いめが供え物へと移されるたびに、回復はただちに続いて起こりました(レビ記 6:5)。奪ったものをそのまま返すだけではありません。それに五分の一を加えて返すのです。百に二...