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検索語: “イサク”

14件の記事が見つかりました

カイロスの意味とは?時計では測れない神の時

多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...

らくだにも水を汲む人

夕暮れどき、旅に疲れた一人の男が井戸のそばに立っています。その後ろには十頭のらくだが膝を折っています。男は若い娘に、水を少し飲ませてほしいと頼みます。 たいていの人は水がめを傾けて男に飲ませ、そのまま家へ帰るでしょう。それで礼儀は果たせますし、それで十分です。 アブラハムのしもべは、その井戸でだれかに声をかけるより先に、神にしるしを求めました。そのしるしを、彼は心を砕いて選びました。決まった色の服...

祝福される人から、祝福になる人へ

神がイサクに語りかけられたとき、「祝福する」に、ある特定の言葉が用いられました。 「この地にとどまりなさい。わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福し」 創世記 26:3 (口語訳) ここで使われているヘブライ語は (バーラク) בָּרַךְ です。これは動詞——祝福するという働きそのものを指します。神が今まさに、恵みと増し加えと力を、あなたの人生に注いでおられる、その動きです。 けれども神のご意...

神は一語まで選ばれた

わたしたちはしばしば、聖書を大まかな思想の集まりのように扱ってしまいます。神は大筋を示されたけれども、細かい言い回しは人間の書き手に委ねられたのだろう、と。けれども、聖書を書いた人々自身は、そのようには考えていませんでした。彼らは、神が一語一語、一文字に至るまで霊感を与えられたと信じていたのです。 これが、いわゆる完全霊感の教理です。聖霊が、本文のことばそのものを導かれた、ということです。 使徒パ...

孤独に、聖書はどう答えるか

人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...

供給を決めるのは景気ではありません

ききんの働きはただ一つです。倉を空にし、物の値を吊り上げ、選べる道を狭めていきます。だれもが一様に貧しくなっていきます。 だからこそ、創世記の三つの場面が際立ちます。三人の人がききんに遭いました。そして三人とも、前より多くのものを携えて、そこを通り抜けているのです。 アブラハムは、入った時より豊かになってエジプトを出ました。 ききんがアブラハムをエジプトへ追いやりました。 「さて、その地にききんが...

ふたりの子、ふたつの生き方

人生の歩み方には、二つの道があります。そしてその二つは、はるか昔に生まれたふたりの子によって示されています。 使徒パウロは、アブラハムの家族の物語は単なる歴史ではないと語ります。それは象徴であり、比喩です。(allēgoreō) ἀλληγορέω — 「比喩で語る」という言葉が、そこで用いられています。 すなわち、アブラハムにふたりの子があり、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生れた、と書...

ユダヤの婚礼とキリストの花嫁

創世記二十四章で、アブラハムは名の記されていないしもべを遣わし、息子イサクのために花嫁を探させます。この史実は、今日の聖霊のみわざを映し出す一枚の絵です。二千年のあいだ、聖霊は御子イエス・キリストのために、一人の花嫁――すなわち教会――を整えつづけてこられました。 この関係を知るには、古代ユダヤの婚礼のならわしに目を向ける必要があります。神が人の慣習をまねられたのではありません。ご自身のご計画を目...

長子の祝福

わたしたちはつい、目に見える助けを探します。お金、食べ物、必要な物資。 けれども聖書は、まことの供給は霊の領域から始まると教えています。 イサクがヤコブを祝福したとき(長子エサウだと思い込んでいました)、こう宣言しました。 「どうか神が天の露と、地の肥えた所と、多くの穀物と、新しいぶどう酒とをあなたに賜わるように。」 創世記 27:28 (口語訳) エサウは狩人でした。穀物も、ぶどう酒も、すでに手...

どこにとどまるか

世は、逃げ道を探すことを教えます。景気が冷え込むと、人はまず手早い満足へと走ります。「すぐに勝てる話」を探し、「いちばん早く回収できる投資」を探すのです。つまり、足はエジプトへ向かいます。 聖書において、エジプトは世の理屈の体系を表します。人の力と、目に見える資源の上に築かれた仕組みです。けれども飢饉のただ中で、神がイサクに告げられたのは、まったく別のことでした。 「エジプトへ下ってはならない。わ...

救いは失われるのか——恵みの本当の意味

裁判はすでに終わりました。判決は言い渡され、裁判長は席を立ち、木槌の音も鳴りやんでいます。それなのに被告席の人は、もう一度立ち上がってこう尋ねるのです。「でも、本当に確かなのでしょうか」。 これが、自分の救いを疑っている信者の姿です。 「クリスチャンは救いを失うことがあるのか」——この問いは、まじめな信者を心の病へと追い込んできました。神を愛する人々から確信を奪い、良い知らせを、細かい但し書きのつ...

なぜ神はエジプトを止められるのか

世には、成功へのはっきりした型があります。せわしない歩調、すぐに結果を求める心、そしてもう少し急げばたどり着けるという、ささやくような約束です。 けれども、たどり着いた先で払う代価は、たいてい小さな文字で書かれています。 イサクの物語に、それが見えます。飢饉のとき、人々はこぞってエジプトへ下って行きました。エジプトは、世のしくみを映す名前です。しかし神はイサクに、そこへは行かず、今いる場所にとどま...

初子の祝福を納める倉

いにしえのソロモンの神殿には、本堂に寄り添うようにして、祭司たちの住まう部屋がありました。それはただの住居ではなく、倉でもありました。その一階に納められていたのは、三つのもの。穀物と、ぶどう酒と、油です。 これは単なる農作物ではありません。「初子の祝福」——神がご自分の民に、心から慕い求めてほしいと願っておられる相続財産を表しています。 イサクがヤコブを祝福したとき、その言葉は目に見えるものを超え...

きらめきを追うのをやめる。神の目はあなたの人となりに

金で舗装された道、と聞けば壮麗に響きます。けれども、よくよく考えれば、それはただの舗装です。地上で私たちが追いかけてやまないものが、天ではただの床材なのです。これは神の、やわらかな問いかけなのかもしれません。あなたが追っているのは、敷石ですか。それとも、その方ご自身ですか。 境遇の成功は、きらめきます。人となりの成功は、造り変えます。 多くの人は、目に見えるものを追います。利益、喝采、次の節目。け...