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カイロスの意味とは?時計では測れない神の時
多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
検索語: “聖霊”
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多くの人は時計に従って生きています。時間、締め切り、カレンダー。そうやって人生を測っています。けれども聖書は、時について別の言葉を使います。壁にかかった時計とは、何の関係もない言葉です。 その言葉が (カイロス) καιρός — 「定められた、恵みにかなった時」です。この一語を知ると、新約聖書のおもだった約束の読み方が変わります。 カイロスは分を数えません。時を刻むのではなく、時を告げます。神が...
午前一時、ひとりの青年がベッドに横たわり、顔から十五センチのところにスマートフォンを掲げています。浜辺にいる女の子、友人の新しい車、行ったこともない街に住む見知らぬ誰かの部屋。指を滑らせ、いったん置き、また手に取り、また滑らせる。そして明日の朝、彼は今夜よりもう少し気分が沈んでいるのです。 彼は、他人を通して生きています。他人の目で世界を眺め、他人のいちばん良い瞬間と自分を並べてしまう。結果は目に...
わたしたちはしばしば、聖書を大まかな思想の集まりのように扱ってしまいます。神は大筋を示されたけれども、細かい言い回しは人間の書き手に委ねられたのだろう、と。けれども、聖書を書いた人々自身は、そのようには考えていませんでした。彼らは、神が一語一語、一文字に至るまで霊感を与えられたと信じていたのです。 これが、いわゆる完全霊感の教理です。聖霊が、本文のことばそのものを導かれた、ということです。 使徒パ...
頭が止まってくれません。夜、床に入ると、思いの群れが口々に叫び出します。交わした会話を何度も巻き戻し、まだ起きてもいない災いを予行演習し、存在してもいない問題を解こうとする。そして止めようとすればするほど、頭の中の音量は上がっていきます。 聖書には、この状態を指す言葉があります。いいえ、二つあります。 ギリシャ語の (メリムナオー) μεριμνάω — 「いくつにも分けられる」。十の方向へ引き裂...
人でいっぱいの部屋にいながら、ひとりだと感じることがあります。人の行き交うオフィス、席の埋まった礼拝堂、家族が囲む食卓。それでも、隣の席だけがぽっかり空いているように思えるのです。孤独は、まわりに何人いるかで決まるものではありません。いま自分が立っている場所と、自分が本当に知られていると感じられる場所との、その隔たりのことなのです。 聖書はこの主題を避けません。詩篇にも、預言者の書にも、主イエスの...
約束を読み違えた時制で受け取ると、しまい込む引き出しまで間違えてしまいます。 多くの信者が、ローマ人への手紙 8:11 でそれをしています。読んで、一瞬希望がわいて、それからその約束をまるごと未来へ押しやってしまう。「それは携挙のときの話でしょう」と。こうして、この御言葉は「いつの日か」と書かれた引き出しに眠り、火曜日の現実には指一本触れないままになります。 けれども、この節をよく見てください。...
聖書において、油はただの調味料ではありません。それは聖霊と、その力を指し示すしるしです。 ヤコブの手紙には、病んでいる人に油を注いで祈る場面があります。癒すのは油そのものではありません。その油が指し示している、御霊の力です。 けれども御霊は、癒すだけのお方ではありません。守ってくださるお方でもあります。聖書はこう語ります。 「あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救...
また、やってしまいました。そのとき真っ先に心をよぎったのは、失敗そのもののことではありませんでした。神のことでした。「きっと、神はわたしに失望しておられる」。 この一言は、信じる者なら誰しも、どこかの時点で胸の奥に抱えるものです。無神論者の堂々とした反論でもなく、神学者の議論でもありません。声に出さず、ひとりでしまい込んでおく恐れ——自分を救ってくださったその神が、今は自分を見て首を横に振っておら...
敵の手口は、いつも決まっています。まず人を孤立させ、やがてその人自身の手で自分を損なわせるのです。マルコによる福音書五章は、ガダラ人の地で、墓場に住みついた一人の人の姿を伝えています。 「そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。」 マルコによる福音書 5:5 (口語訳) この人の状態には、三つのしるしがありました。ひとつは、人から離れて孤立していたこと。ひとつ...
ひとりの病人をいやされる前に、イエスはヨルダン川に立っておられました。水をぶどう酒に変えてもいません。パンを増やして飢えた人々を満たしてもいません。群衆に向かって語られたこともありません。奇跡は、まだ一つも行っておられなかったのです。 それでも、水から上がられたその時、天が開け、父が声をあげられました。 「また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」マタイに...
ギリシア語には、愛を表す言葉が四つあります。日本語には、ひとつしかありません。このささやかな違いが、歴史上のどんな神学論争にも劣らないほど、神についての誤解を生んできました。 夫が妻に「愛している」と言い、その同じ口で「ピザが大好きだ」と言う。日本語はどちらも同じ棚に並べてしまいます。ギリシア語はそうしません。ギリシア語には、神の愛だけを指す言葉があるのです。あまりに独特なので、初代のクリスチャン...
エペソ人への手紙には、はっきりとした設計図があります。 前半の三章は、あなたが何を持っているかを語ります。後半の三章は、あなたが何をするかを語ります。この順序に意味があります。「召にふさわしく歩きなさい」と告げられる前に、あなたはまず、キリストにあってどれほど富んでいるかを聞かされるのです。 パウロは、わたしたちの立ち位置を言い表すのに、ひとつの語を選びました。(kharitoō) χαριτόω...
わたしたちは、霊と魂と体という三つからなる者です。それは、古代の幕屋の姿をそのまま映しています。外庭は体、聖所は魂、そして至聖所は霊にあたります。 日々の暮らしの大半は、はじめの二つの場所で営まれています。体で感じることに目を向け、心で考えることに時間を費やす。けれども、異言をもって祈るとき、あなたは至聖所から――霊なる人として――神の前に立っているのです。 「しかし、愛する者たちよ。あなたがたは...
世にある自己改善の多くは、意志の力を求めます。規則を決めなさい、習慣を記録しなさい、そして自分で自分を変えなさい、と。けれども新しい契約は、まったく別の道を差し出します。 パウロは、クリスチャンが変えられていく道筋をこう描きます。 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への...
多くの人は、旧約聖書を重たい律法が並ぶ歴史の書として読みます。けれども、その読み方からは混乱と恐れしか生まれません。 正しく読み取るためには、旧約聖書をイエスの啓示として読み解く必要があります。聖霊に教えていただき、本文のただ中にキリストを現していただくほかありません。 意味を決めるのは歴史的な文脈です。英訳聖書の初期の翻訳者であった Miles Coverdale は、読者にこう勧めました。だれ...
創世記二十四章で、アブラハムは名の記されていないしもべを遣わし、息子イサクのために花嫁を探させます。この史実は、今日の聖霊のみわざを映し出す一枚の絵です。二千年のあいだ、聖霊は御子イエス・キリストのために、一人の花嫁――すなわち教会――を整えつづけてこられました。 この関係を知るには、古代ユダヤの婚礼のならわしに目を向ける必要があります。神が人の慣習をまねられたのではありません。ご自身のご計画を目...
医者はパニック発作に薬を処方できます。カウンセラーは、思考の枠組みを組み替える術を教えてくれます。けれども聖書は、そのどちらにもできないことをします。恐れがどこから来たのか、だれがそれを打ち破ったのか、そしてなぜそれがもはやあなたの人生に立ち入る権利を持たないのかを、はっきり告げるのです。 恐れは、神が聖書の中で最も繰り返し語られた主題です。「恐れるな」という言葉は、聖書に三百六十五回以上出てきま...
恵みとは、神が私たちを気の毒に思ってくださることだ——そう考える人は少なくありません。神は私たちの過ちをご覧になり、ため息をつき、まあ今回は見逃してやろうと決めてくださる。そんな絵を思い描くのです。 しかし神は、完全な裁判官です。完全な裁判官が、哀れに思ったからといって罪ある者を無罪のまま帰すことはできません。あわれみが正義を飛び越えることはできないのです。もしそれが起こるなら、神の御座はその正し...
聖書は七十四回、ある言葉をさしはさみます。節の終わりに、たいていは括弧のなかに、ぽつりと置かれています。多くの人は脚注のように見て、そのまま通り過ぎてしまいます。けれども、もしその小さな一語が、聖書のなかで最も実践的な勧めだとしたら、どうでしょうか。 その言葉が「セラ」です。 詩篇に七十一回、ハバクク書に三回。ほかの書には一度も出てきません。預言者も説明せず、使徒も定義しません。それでいて、この語...
解放とは、意志の力をふりしぼる激しい戦いだ——わたしたちはつい、そう思い込みます。習慣を断ち切ろうと歯を食いしばり、もう一日だけ耐えられますようにと願う。けれども肉は頑固なものです。押さえつければ押さえつけるほど、いっそう強く押し返してくるように感じられます。 「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」 ガラテヤ人への手紙 5:16 (口語訳) もっと高...