エペソ人への手紙には、はっきりとした設計図があります。

前半の三章は、あなたが何を持っているかを語ります。後半の三章は、あなたが何をするかを語ります。この順序に意味があります。「召にふさわしく歩きなさい」と告げられる前に、あなたはまず、キリストにあってどれほど富んでいるかを聞かされるのです。

パウロは、わたしたちの立ち位置を言い表すのに、ひとつの語を選びました。(kharitoō) χαριτόω — 「恵みを豊かに注がれる、恵みに満たされる」です。

この語は、新約聖書の中でもごくまれにしか現れません。恵みに包まれ、恵みに染め通され、愛する御子のうちで受け入れられている——そういう重みを帯びた言葉です。口語訳は、この同じ語をルカによる福音書 1:28 で「恵まれた女よ」と訳しています。聖霊は、揺らぐことのない深い価値を伝える言葉を、あえて選ばれたのです。

「これは、その愛する御子にあってわたしたちを受け入れてくださった、その恵みの栄光がほめたたえられるためです。」 エペソ人への手紙 1:6 (NKJV より私訳)

自分の豊かさを知らないまま、キリスト者の生活を歩き出そうとすれば、やがて息が切れます。ふるまいとは、本来、自分が何者であるかからあふれ出てくるものなのです。

恵まれていると知っている人は、顔を上げて歩きます。愛されていると知っている人は、人を愛して扱います。

受け入れられるためにふるまうのではありません。すでに受け入れられているからこそ、ふるまいが変わるのです。