世にある自己改善の多くは、意志の力を求めます。規則を決めなさい、習慣を記録しなさい、そして自分で自分を変えなさい、と。けれども新しい契約は、まったく別の道を差し出します。

パウロは、クリスチャンが変えられていく道筋をこう描きます。

「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」 コリント人への第二の手紙 3:18 (口語訳)

ここで用いられているギリシア語は (metamorphoumetha) μεταμορφούμεθα — 「わたしたちは変えられる」です。「変態(メタモルフォーシス)」という語の源になった言葉であり、形そのものが造りかえられることを指します。しかも、これは受け身の形です。口語訳が「変えられていく」と訳しているとおり、自分で変わるのではなく、変えていただくのです。

この一節は、だれがその働きをするのかをはっきり告げています。あなたが自分を変えるのではありません。変えてくださるのは、霊なる主です。あなたに与えられている務めは、ただ一つ。イエスの栄光を見つめることです。

では、どこで主を見つめるのでしょうか。み言葉という鏡の中です。主の恵み、主の愛、主が成し遂げてくださった完成したみわざについて読むとき、あなたは主を見ています。そして見つめているあいだに、聖霊があなたの人となりを造り変えていかれるのです。

もっと頑張るから変わるのではありません。イエスを、より長く見つめるから変えられるのです。